「スパイラル」休止に思う 元五輪スケルトン代表・中山英子
海外で成功しているコースと明らかな差
滑走時のトップスピードは時速120キロを超える。生身の体で滑り降りる快感に魅せられたのは私だけではない。遠い土地から冬のわずかな期間、大枚をはたいてわざわざ「スパイラル」に足を運ぶ愛好者も数多くいた。 アスリートを一線で続ける困難さは、国内においてはどの種目もそれなりにある中で、長い間そり競技に携わりこの世界が特殊だと感じ、私が憂慮したのは、競技団体(日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟)内の強化が深まって行かないことだった。要因は熱意ある人材が競技を離れ、熟知する人材が残らないため必要なノウハウの蓄積がなされていかないことにあると感じていた。それはコースの運営実態とも比例し、競技を育むという方向になかなか進まなかった。この悪循環が「休止」の結果を導いたのではないかと私は感じている。 この根になる部分は、コース建設当初からあったらしい。そのころ海外転戦し、欧米でそりが盛んな国の実例を肌で感じていた関係者が、「初心者や観光客が段階を踏んで滑走できるよう、そりがスタートできる入り口を細かく作ってほしい。コースはできるだけ日に当たらない斜面がいい。氷の状態がキープでき、コスト減につながるので」など競技団体に申し入れたという。しかし回答はなかったそうだ。海外で成功しているコースとの明らかな差が、施設の建設計画段階の時、後利用を真剣に考えずに建設に踏み切ったことにあったのでは、と関係者は指摘する。 スケルトンの発祥の地でもあるスイス・サンモリッツ、オーストリア・インスブルックの山間にあるイーグルス、多くのそり選手を育成するドイツ・ケニクゼー、カナダのウィスラー、カルガリーなど、世界の多くのコースでタクシーボブスレー(体験滑走)などを行い、収入や一般への認知を高めながら運営しているのが世界のコースである。日本では「市の施設であり、収入方法が条例等で限られている」ということ以上の論議がなされなかったのだろう。 私自身2014年まで長野市を拠点に選手活動をしてきたが、夏場もスパイラルに通い詰め練習した。冬は10月初旬からノルウェーやドイツ、アメリカなど海外のコースに滑走練習に行った。スパイラルは通常11月末から着氷し、1月末に終了となるため実質2か月の稼働だった。海外転戦をしていたときは年末年始のわずかな時間しか滑走ができないのが実状だった。 コスト面も含め長期の氷上営業は難しかったと思うが、例えば着氷時期を後ろにずらすことで、一線選手も多く練習が積めるよう何とかならないのかなどと連盟に伝えることもあったのだが。 また、スパイラルは世界のコースの中で最も製氷作業員の人数が多かった。コスト面に課題を持っている割に、なぜ削られないのか疑問に思うことはあった。