解体撤去騒動で話題の国立市マンション、目の前の道路は富士山の「山アテ道路」だった! 偶然ではない山まで続く直線道路の魅力とは?
富士山が隠れるとして解体撤去騒動で話題となっている国立市のマンション。そのすぐ側を走る「富士見通り」は、なぜ斜めに走っているのか? 偶然ではない山まで続く直線道路、「山アテ道路」の誕生に隠された道路計画の歴史を深堀する。 【写真】日本人の愛してきた「目の前に富士山」の景観は山アテ道路によるもの!
目の前に富士山! 山まで続く直線の道路
皆さんは「山アテ道路」という存在をご存知だろうか。「山アテ道路」とは、「山アテ」と呼ばれる直線の延線に山を配置する道路設計技法を用いた山まで続く直線道路のことを指す。 この山アテ道路は、特定の地域に限定されることはなく、日本全国に存在しているのだが、最近、マンション解体撤去騒動で物議を醸している国立市の道路「富士見通り」も、実はそのひとつに数えられる。 JR国立駅の南口広場はロータリー状の円形公園を中心に、北に旧国立駅舎、南に大学通り、西に富士山の見える富士見通り、東に朝日の見える旭通りが位置している。大正時代末期の都市計画では、大学通りに対して、富士見通りは45度に伸びるはずだったが、広場から富士山にアテるよう角度を変更して、「目の前に富士山」の道路が作られた。 山アテ道路その最大の特徴は、なんといっても、山を焦点として沿道の建造物や街路樹が水平線に向かって消失(一点透視)することで生み出される美しい道路景観にある。現在では「100年前の技術者からの贈り物」と表現されることもあるほどだ。 首都圏の山アテ道路の代表格はやはり富士山。その他にも、筑波山や愛宕山などにも“アテて”いた。こうして歴史を振り返れば、100年どころか400年以上前から、江戸の都市計画や道路設計に「山」を取り込む道路設計技法が使われていたことが見て取れる。 例えば、本町通りや駿河通りは、富士山に続く山アテ道路である。三越本店のあたりは駿河町といわれており、当時は真正面に富士山を望むことができていた。この駿河町の山アテ道路は歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 する賀てふ」の題材となっていて、越後谷呉服店(現在の日本橋三越の前身)が左右に立ち並ぶ目抜き通りの向こうに富士山の頂上が見える構図だ。