離婚から1週間後にがん宣告。「普通に生きることは無理」元ギャルサー総代表の激動人生
平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。 今回登場するのは、モデル/DJの山城奈々さん(36歳)。中学時代にはファッション誌の専属モデル、高校時代にはギャルサー(ギャルサークル)の2代目代表としてメディアにも出演し、一時期はタレントとして活躍していたが、高校卒業とともにギャルファッションからは離れていった。 ⇒【写真】ガングロギャル時代の山城さん それから15年以上が経った今、有名ブランドのランウェイモデル、グラフィックデザイナー、DJなど、幅広い分野で活動している。そんな華やかなキャリアを築いている山城さんだが、実はその裏で激動の人生を歩んでいたようだ。モデルデビュー、離婚、病気発覚……「普通に生きることは無理なので」という山城さんの半生とは。
ギャルになったきっかけは、ヤンキーな親友とトランス
山城さんがギャルに目覚めたのは小学校高学年の頃。もともとは内向的な性格だったが、親友との出会いによって生き方が変わった。 「今の性格になれたのは親友の影響が大きいと思います。親友はヤンキー一家で育ってきた子だったんですよね。一方、私はエリート一家のお堅い家庭で育てられてきて。門限は18時、スウェットで歩くのはダメ、ガムを食べるのもダメみたいな厳しい家だったんです。家庭の事情も色々あってゴタゴタしてたこともあってとにかく息苦しかった。そんな時期に、親友やその家族の自由な生き方には刺激を受けましたね」 2000年初頭。当時はギャルブーム真っ只中でもあった。雑誌『Popteen』『Cawaii!』『egg』や、漫画『GALS!』、パラパラやトラパラなどが大流行。山城さんはそうしたカルチャーにも刺激を受けていく。派手な格好ってかわいい、こういう生き様になりたい……とギャルへの思いは次第に強くなっていった。 なかでも音楽には多大な影響を受けたという。 「小学校5年生の頃に、初めてサイバートランスを聴いたんです。それまでスピッツばっかり聴いてたんですけど、そこでトランスミュージックにもハマって。どんな人がこういう音楽聴いてるんだろうと思って調べたら“ギャル”だったんですよね」 服装やヘアメイクはどんどん派手になっていった。親にとめられようが、先生から指導されようが、自分が今いちばんしたい格好を貫きたい。派手なだけで何が悪いのか、と大人たちに堂々と主張できるようにもなった。 そんななか渋谷109の下でスカウトされ、中学2年生にしてティーン雑誌の専属モデルとしてデビュー。モデルとしてバリバリ働き、自分で稼ぐ楽しさを知る。 家庭の事情も色々あって――そう言っていた山城さんだが、実はバブル崩壊の影響で、父親の仕事が上手くいかなくなっていたという。そうした背景もあり、学生の頃から自立心が強かった。 「自分で生きていくためにはどう稼ごうかなってことを考えてました。父は子どもにいい暮らしをさせてあげられていないという罪悪感で精神的に病んでいて。小さい頃からそんな親の姿を見ていたので、早く自立しなきゃなと思ってましたね」 モデルとして活躍するようになると、親も先生もなにも言わなくなったそうだ。そうか、やりたいことを認めてもらうには成功すればいいのか、周囲の変化を見てそう感じたという。そのうち“ギャル”として有名になりたいと考えるようになった。 肌を黒くし、髪はハイトーンカラーに染め、個性的なギャルファッションに身を包む山城さん。そんな彼女の姿は地元・埼玉でも存在感があったに違いない。 地元の祭りで遊んでいたところ、先輩から「今度東京に新しくできるギャルサーに入らないか」と声をかけられたという。ギャルサーにも興味があった山城さんは、その場ですぐに加入を決めた。