離婚から1週間後にがん宣告。「普通に生きることは無理」元ギャルサー総代表の激動人生
ギャルサー総代表に抜擢。ギャルとして有名に
渋谷を歩けばギャルだらけの時代。山城さんは差別化を図るため、コンセプトを決めてスタイリングしていたという。彼女は笑いながら「自分のことマーメイドとか言ってたんですよ!」と振り返る。当時の写真を見せてもらうと、ブロンド×ピンクのロングヘアーに、全身ブルーのコーディネートで、確かにマーメイドのようだった。 そんな山城さんはサークル内でも目立っており、2代目総代表にも抜擢。サークルの顔として活動することとなる。さらには知人からの誘いで、ギャル関連のプロデュース業として会社も任されていたとか。密着取材、モデル業、番組出演、商品企画、学業……と多忙を極める日々。学校との両立は大変だったが、仕事はとにかく楽しかったという。 「高校生で会社をやることってあんまりない経験じゃないですか。これだ、という感覚がありました。会社員には向いていないと思ってたんですけど、これなら私に合ってると思いましたね。ギャルを経験したことで自己プロデュースの面白さがわかった気がします」 だが、高校卒業とともにギャルファッションからも離れた。「ギャルは高校生まで」とあらかじめ決めていたという話はギャルたちの間でよく聞くが、山城さんもそう考えていたようだ。 それから15年以上経つ今では、モード系のファッションモデルとして活躍している。それに加えて、グラフィックデザイナー、マーケティング、DJなどと活動の幅を広げている。いきいきとしている彼女の姿がまぶしくみえる人もきっと多いのだろう。「苦労してなさそうだとよく言われます」と山城さんは話す。 だが、そんな山城さんには、療養のためにモデル業を休んでいた時期もあるようだ。山城さんのInstagramにはしばらく大病を患っていたことが書かれている。 筆者がそれについてふれると、彼女はまず「強制離婚させられて……」と思いがけない話を聞かせてくれた。
強制離婚と手術で疲弊する日々
「5年間、結婚してたんですよ。その間は色々大変でした。彼のメンタルが不安定になって、私に対する当たりも強くなっていったんです。それでも私は好きだったんですけど、話し合う余地もなく、一方的な感じで別れることになりました。かなり落ち込みましたね」 ちょうどその頃、山城さんは婦人科系の検査で異常が見つかり、手術をすることになっていた。離婚の話が進むなかでの体の不調。精神的にかなりまいっていた。 そんな中で手術は無事に終了。疲れ切っていた山城さんだったが、その翌日に離婚届を提出されてしまったという……ショックは大きく、傷が癒えぬままひとりの生活をはじめて1週間。山城さんにさらなる困難が降りかかる。