オアシスはなぜ現象化した? 90年代ロックシーンの時代背景とギャラガー兄弟の特異性を検証
新たなヒーローを待望する時代の空気
1994年6月のセカンド・シングル「Shakermaker」(11位)は、ノエルの潜在意識にあったであろうニュー・シーカーズのヒット曲「I’d Like To Teach The World To Sing (In Perfect Harmony)」(1971年)とよく似たメロディに、その軽さと相反するヘヴィなリフを与えた曲。グラム・ロックへのシンパシーを感じさせるが、リアムの個性的なボーカルがそれともまた異質な酩酊感を楽曲に与えている。 一度聴いたらすぐに覚えて歌えそうなシングル2曲とライブの評判から、すでにホットな存在になっていたオアシス。そして1stアルバムから3枚目の先行シングルとしてダメ押し的にリリースされたのが、必殺の名曲「Live Forever」(1994年8月)だった。敢えてミドルテンポの、飛び切り強いメロディを持つこの曲をシングル第三弾まで温存しておいた作戦が周到すぎる。全英10位とシングルチャートで初めてトップ10入りを果たした「Live Forever」は、再結成のニュースが報じられてから今年再びチャートインして最高位を8位に伸ばしたばかりだ。 ヒットシングル3枚に続いてリリースされた『Definitely Maybe』は、見事に初登場で全英No.1を獲得。アルバムからシングル・カットされた「Cigarettes & Alcohol」(1994年10月/英7位)や、彼らのスタンスを巧みに要約した「Rock ’n’ Roll Star」など荒々しいロックンロールが目立つ一方、ポール・マッカートニーもお気に入りのブロークン・ソング「Slide Away」や、「Live Forever」に顕著な哀感も彼らは最初からあわせ持っていた。デビュー作にしてベスト盤級の名曲揃いであると同時に、英・米でトップ10入りを果たす「Wonderwall」の到来を予感させる要素もここにはある。 デビューから半年も経っていない新人ながら彼らが瞬く間にトップを制した背景には、次代のスターを、新たなヒーローの登場を待望する時代の空気があったように思う。カート・コバーンの自殺という悲しい幕切れに直面させられたあの時期特有の閉塞した空気を、誰よりも鮮やかに塗り替えてみせたのは、カートがそうだったように着の身着のままで出現した、謎なほど自信満々なワーキングクラスの若者たちだった。 イギリスの政治に目を移すと、1979年から続いていた保守党のマーガレット・サッチャー首相による政権が終わりを告げたのは1990年11月。同じ保守党のジョン・メージャー首相にバトンが渡されたが、目覚ましい改善が見られない失業率、所得格差、貧困層の拡大といった問題に国民の不満はくすぶり続けていた。一方、労働党のトニー・ブレアは1994年に党首に就任。1997年の総選挙で保守党を破り、いわゆる“クール・ブリタニア”の時代を迎える、大転換への機運が徐々に醸成されていく。そんな時代の変わり目に登場したオアシスが国民的バンドへとのぼり詰めて行く過程は、ごく自然な流れに見えた。ノエルは労働党支持を表明、ブレア首相と急接近することにもなっていく。