オアシスはなぜ現象化した? 90年代ロックシーンの時代背景とギャラガー兄弟の特異性を検証
「ニルヴァーナ以降」の更新
オアシスというバンドのロールモデルのひとつは、間違いなくストーン・ローゼズ。ふてぶてしい存在感を放つシンガーをフロントに置き、彼らのように強度の高い楽曲を演奏すれば、不在中に王座を狙える。ネット上に流出している最初期のデモ音源を聴くと、まだ余計なエフェクトが多かったりしてストーン・ローゼズを意識しすぎている部分があり、微笑ましい。 しかし楽曲のアレンジはノエルが加わってから、はっきりと変わっていく。リズムギターはバーコード。ベースはルート音。ドラムはリズムキープ。無駄を削ぎ落として、楽曲のダイナミズムをわかりやすく、パワフルに伝えること……そういうコンセプトが明確になった時点で、オアシスの個性はある程度出来上がったと言えるのではないか。1stアルバム『Definitely Maybe』(1994年8月)のレコーディングをわざわざスタジオ・ライブ的にやり直したのも、ウェルメイドな“インディ・ロック風”の質感から逃れて、自分たちの魅力を最もストレートに伝える手段を模索した結果だろう。 デビュー当時のオアシスはクリエイションに所属していた他のバンドと比べるとあまりにもロックンロール色が強く、1stシングル「Supersonic」(英31位)は無防備なまでの真っ当さゆえに、かえって新鮮に聞こえたことを思い出す。ちょうどプライマル・スクリームが「Rocks」をリリースした直後だったので、アラン・マッギーが目指すクリエイションの次なる形はロックンロールが持つワイルドネスと“臭い”の再提示なのだろうな……とぼんやり思っていた。 当初は即座にわからなかったが、「Supersonic」のフレーズやサウンドにじっくり向き合うと、“ニルヴァーナ以降”の更新を経た曲だとわかる。カート・コバーンが亡くなったのは1994年4月5日。「Supersonic」がリリースされたのはそのわずか6日後、4月11日。そんな風に入れ違うことになったのは偶然だが、前代のUKバンドとは違うサムシング・ニューを模索していたオアシスがニルヴァーナから刺激を受けたことは紛れもない事実。ノエルはニルヴァーナについて「『Nevermind』は今聴いても未来のロックの音に聞こえる」と、彼らしい褒め方をしている。エンジニアのマーク・コイルは、ティーンエイジ・ファンクラブがニルヴァーナの前座を務めた際にPAを担当した経験の持ち主であることも今ではよく知られている話。オアシスを単にトラディショナルなロックに逆戻りしたバンドだと思い込んでいる人たちは、彼らが狙ったポイントを見逃している。