中央線8番ホームから当たり前のように見えていた中野サンプラザ
【汐留鉄道倶楽部】東京都中野区のランドマーク「中野サンプラザ」が、7月2日をもって50年の歴史に幕を閉じ、その後解体されるという。このコラムが掲載される頃には既に立ち入りができなくなっているかもしれない。サンプラザは、私にとって思い出深い建物だ。 独特の三角形の中央線中野駅北口の真ん前にそびえる白い20階建ては、1973年6月に「全国勤労青少年会館」としてオープンした。ホテル、結婚式場、コンサート会場、ボウリング場、レストランなど多くの用途に利用されてきた。イベントも多く、中でも2階から4階を占めるホールでは成人式が毎年行われてきた。私自身、中野には実家があり中学から大学までを過ごした地。大学1年だった78年1月15日の昼、ここであった成人式に参加した。 当時は竣工後5年がたち全国的にはまだそんなに建物が有名ではなかった頃。正面玄関前の広場で中学時代の友人と待ち合わせた。当時の秀才君ややさぐれていた奴、当時あこがれていた女性などいろんな人とも会った。中野区内中から若者が押し寄せた。女性は半数くらいが晴れ着姿であでやかな風景だった。大きなホールでどんな催事があったかは忘れたが、「式の企画・進行は同世代の若者が実施し、映画評論家の小森和子さんが講演した」と当時の手帳にはある。式の後は仲の良かった友人と原宿方面に繰り出した。
消えるサンプラザを目に焼き付けたくて、先日久しぶりに中野駅北口を訪れた。狭いロータリーにバスが頻繁に発着する駅前はきれいに整備され、エスカレーターでデッキを経由してサンプラザ方面に容易に行けるようになっていた。古ぼけた隣の区役所も健在だったが、これも近々取り壊しだとか。 成人式で待ち合わせた正面の広場は何も変わっていなかった。広場の真ん中に立つと78年当時の若者が談笑し、入りたての大学など新しい世界の話題などで盛り上がった喧噪がざわざわと聞こえてくるようだった。「未来はずっと平和で明るい」なんて能天気に信じてやまない時代だったのだろう。 サンプラザ内にも何十年ぶりかで入ってみた。多くの人が二度と見られない景色を撮影していた。ホールに続く大階段の赤じゅうたんは当時のままだったが、閉館を見越してか既に上ることはできなかった。私は入社して10年近くは地方勤務で、たまに実家に帰るとサンプラザに寄った。8階にあった「ヤングフロア」で全国の地方紙を読むことができ、自分の書いた記事がどれだけ載っているのか、なんて胸をときめかして紙面をめくるのが目的だった。