「水平」な視線で、地べたを歩き、街に刻まれた歴史に想いを馳せる(レビュー)
ニョキニョキと垂直方向に林立する渋谷のビル群を見上げながら、いったいこの街はどこに向かっているのか考え込んでしまった。山手線沿線の駅で、いや東京の街で、これほど大規模な再開発が短期間に進んでいる場所はない。都市はいつの時代も「スクラップ・アンド・ビルド」を繰り返すことを宿命としているが、今の渋谷の目まぐるしい変化に、肝心の人間が追いついていないように感じるのは私だけだろうか。 政治と闘争に明け暮れた一九六〇年代を象徴する街が「新宿」だとすれば、若者が自由にファッションや音楽など趣味を楽しむようになった七〇年代の象徴が「渋谷」だ。そんな渋谷文化を牽引したのが、七三年に誕生した「渋谷パルコ」である。パルコも地上九階建ての複合ビルだったが、自社のビル内だけで買い物を完結させるのではなく、むしろ自身が先頭に立って渋谷の街を「面」で盛り上げる使命を自覚していた。 だからこそ、先般、リニューアルした「渋谷パルコ」が、駅前の再開発と平仄を合わすように巨大なビルへと姿を変えたのは残念だった。ストリートから渋谷の若者文化を発信し続けてきたパルコの旗艦店が、地上一九階建ての「渋谷パルコ・ヒューリックビル」の一部に取り込まれてしまったことは、この渋谷の街づくりの基本理念が、「水平」よりも「垂直」の方向に展開を優先した象徴だと思う。 本書は、タイトルにもある通り、ガイドブックにはのっていない東京の記録だ。始まりが「玉の井」ということからして、期待を裏切らないが、この本の良いところは、例えば下町を「誰にとっても居心地のよい人情世界」、つまり、単なるノスタルジーで描いていないことだ。タウン誌出身で、長年、一筋縄ではいかない「色街」を取材してきた書き手だからからこそ、ひたむきに生きる人間の生活を活写しながら、地層のように降り積もった東京のもうひとつの歴史を鮮やかに浮き彫りにしている。 東京という街を、上へ上へと垂直方向に開発し、常に消費を拡大させようとする側の人もいれば、著者の視点はその真逆。ひたすら地べたを歩き、人との出会いを面白がり、街に刻まれた歴史に想いを馳せる。 根本に著者の人間を慈しむ「水平(フラット)」な視線があるからこそ、見えてくる都市の輪郭と表情がある。開高健の『ずばり東京』よろしく、過去に東京をテーマにしたルポルタージュはいくつもあるが、女性視点の東京という意味でも貴重な記録である。 [レビュアー]中原一歩(ノンフィクション作家) なかはら・いっぽ1977年生まれ。社会問題を中心に、食と職人のルポをライフワークとする。近著に『寄せ場のグルメ』『小山田圭吾 炎上の「嘘」』など。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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