東京・墨田区で「赤ちゃんポスト」計画が進行中…国内1例目の「病院vs行政」から学ぶ"重大な争点"
■個人情報の取り扱いについて溝は深まる 熊本市と検証部会による会見が行われた同じ日の午後、慈恵病院も独自に会見を行った。熊本市の回答に対し、理事長の蓮田健氏は反発した。 「ゆりかごに預け入れる女性は、匿名が保障されないとなるとここを頼ることはできません。私たちは預け入れにこられた方と接触できたケースでは、場合によってはお引き止めして事情をお伺いし、児相の方が面会されたこともあります。 そういう状況になったときには、女性に対して、児相の方には個人情報を話さないよう気をつけてください、そうしないと、児相はあなたの居場所を特定する恐れがあります、とお伝えしてきました。今後もそれを続けるよりありません」 一民間病院が赤ちゃんの親に関する秘匿性の高い情報を保持し続けることについては、熊本市と慈恵病院の双方が問題視している。にもかかわらず、「匿名性」をめぐって双方の溝は埋まる気配はない。 ■熊本市長が独自でGOサインを出した結果 そもそも熊本市の赤ちゃんポストは、国が突き放す中、当時の幸山政史市長が独自に許可した(連載第6回)。当時、市長には反対する声の方が多く聞こえていたという。 熊本市長の政治判断に対し、赤ちゃんの処遇を担当した熊本県中央児童相談所を所管する熊本県は、当時の潮谷義子知事が、児童相談所運営指針に基づいて社会調査を行うよう現場に指示した。 その後、熊本市が2010年に児童相談所を開設したのを機に、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんに関する業務は熊本県中央児童相談所から熊本市児童相談所に引き継がれた。そして現在に至るまで、ゆりかごに関する行政の業務の全てを熊本市が担っている。
■内密出産が始まり、さらに現場は混乱 2017年に慈恵病院が内密出産の受け入れ意思を表明すると、熊本市は厚労省と法務省に違法性の有無を照会した。厚労省と法務省の回答は赤ちゃんポスト開始前と同様、「違法性はない」。 しかし、熊本市は「現行法に抵触する可能性がないとはいえない」と、病院に対し運営を控えるよう文書で通達した。それでも病院は2021年暮れ、1例目の内密出産受け入れを実施した。 熊本市の現場では、出生届や戸籍の作成といった実務の進め方など、一地方自治体では決められないことが次から次に出てきて混乱を極め、病院と行政の対立は激化した。 約1カ月後、大西一史市長が慈恵病院を訪ね、蓮田理事長と面会。それを機に熊本市は「協力体制」へと方針転換したように表面上は見える。だが、内密出産の赤ちゃんについても熊本市児相は社会調査を実施し、親族の居住地を突き止めている。 ■赤ちゃんポストの矛盾は先延ばしに 取材では熊本市が公開質問状への回答を事前に慈恵病院に示していたことがわかった。慈恵病院が反発しないような内容に収めるため、調整を働きかけていたということか。市長が「協力体制」を明言した以上、慈恵病院との対立の表面化は避けたいという意向があったと見るのは、うがち過ぎだろうか。 しかし慈恵病院は、回答書の初案に対し「ゼロ回答だ」と反発。熊本市と検証部会を批判する趣旨の会見用メモを事前に記者クラブと熊本市に送付した。メモには次のように大西市長を批判する内容を記した。 〈本来なら「ゆりかご」の存在理由について原点に立ち戻り、社会調査の目的や内容を整理していただくべきです。慣例事項を変えることにハードルがあるのでしたら、市長さんが主導し決断をなさってください〉 前述した熊本市の会見後、市の幹部に「板挟みになって現場は困っていませんか」と尋ねると、幹部は「熊本市長ほど、こどもの福祉を考えている首長はいない」と否定した。だが、こと社会調査については、ゆりかごを決断した市長は「社会調査についてあまり考えていなかった。でも当然、するべきだと思っていた」(連載第6回)という。 現在の市長も、「日本初の赤ちゃんポスト」を認可した熊本市の市長として、社会調査をどのように設定するのか、自ら判断し、指示することを先延ばしにしてはいないだろうか。 ゆりかごと現行法の間に横たわる矛盾が放置され、その結果、慈恵病院と対峙する熊本市の現場は延々と対立が続いているように見える。