【田名網敬一】のスピリットに導かれる異次元のアート体験
第二章では、フリーのグラフィックデザイナーとして活躍し、月刊「PLAYBOY」初代アートディレクターにも就任した頃の作品を紹介。忙しい中で個人的な趣味として、コラージュ制作に熱中します。出征し他界してしまった叔父が大量に所有していた雑誌がコラージュの素材になりました。武蔵野美術大学出身のレジェンドはなぜか皆さんコラージュにハマっています。田名網敬一、大竹伸朗、みうらじゅんが「コラージュ御三家」といっても良いでしょう(敬称略)。 コラージュには右脳を活性化し、芸術的センスを高める効果があるようです。大学に「コラージュ学科」を新設しても良いかもしれません。田名網敬一のコラージュ作品からは、すきまを埋め尽くしたいというモチベーションが感じられます。構図は完璧ですが、モチーフがシュールで、一見楽しいけれど、軽い恐怖も感じさせるシリーズ。後年の脳内ビジョンのコラージュ的作品にも通じるものがあります。 第三章では、アニメーション作品を紹介。アニメーション作家としての先駆者、久里洋二(1928-今もなおご存命)の影響で、アニメーション作品を制作。マスメディアへの風刺を込めた作品は今見ても刺激的です。いつも時代の最先端の技術を取り入れていて、現代ではそれがプロジェクション・マッピングに発展していると思うと感慨深いです。 第四章は、これまでの多忙な仕事ぶりが祟って、肺に水がたまり病床に伏したことがきっかけで、新たな着想を得た作品シリーズ。1981年に結核と診断され、4か月近く入院することになった田名網氏。入院中に生死の境をさまよい、高熱で幻覚を見た日々。窓の外の松の木がぐにゃぐにゃに曲がるなど、幻覚のイメージをノートに描いて、それが作品のモチーフになりました。逆境や不運も芸術に昇華できる才能に圧倒されます。鶴や亀などアジアの吉祥モチーフも取り入れ、不思議な幽玄の世界を展開。一度見たら夢に出てきそうな立体作品シリーズも展示されていました。幼い頃に遊んだ積み木などの玩具と、幻覚が結びついた作品で、並んでいるとまるで視覚の遊園地のようでした。 第五章では、1980年頃から手がけたドローイング作品を展示。デザインや映像、立体、ドローイングと、あらゆる手法を使いこなしています。田名網氏の夢や記憶をもとに描かれた動物や植物の絵は、力強くうねる線で描かれていて不思議な説得力があります。夢のビジョンも作品の素材にしていた田名網氏は、もっと激しくおもしろい夢を見たいという欲求が強くて不眠気味になってしまった、というエピソードも。 少し前に、プラダ青山店で開催された「PARAVENTI: KEIICHI TANAAMI - パラヴェンティ:田名網敬一」展で、田名網氏と会話する機会に恵まれました。宇宙人やUFOのモチーフが度々描かれていたので、「宇宙人からイメージが降りてきたりアドバイスされたりして描くこともあるんですか? 」と聞いたら「来ないですね。全部自分の中から出てきたものです」と淡々とおっしゃっていたのが印象的でした。今回展示された膨大な作品は、ほとんどが田名網氏の脳内に蓄積された膨大な記憶やイメージをもとに描かれているのです。人は情報や叡智を外側の世界にばかり求めなくても、全ては自分の内側の小宇宙にあるのかもしれません。