次期代表監督と言われるアギーレ氏の目指すサッカーとは
次期日本代表監督への就任決定が秒読み段階に入ったとされるハビエル・アギーレ氏だが、母国メキシコを率いて2002年の日韓共催大会、2010年の南アフリカ大会と2度のワールドカップに出場し、ともにベスト16に導いた実績以外は、人物像を含めてなかなか詳細が伝わってこない。 ■ザッケローニ氏とは異なる戦術 果たして、どのような戦術を新生日本代表にもたらし、ブラジルで一敗地にまみれたチームを再建してくれるのか。アギーレ氏が長く主戦場としてきたリーガ・エスパニョールの関係者の証言を集めると、アルベルト・ザッケローニ前監督が標榜したスタイルとは大きく異なる戦い方が浮かびあがってくる。 最初のワールドカップにおける采配が評価されたアギーレ氏は、日韓共催大会終了後にオサスナの監督に就任(2002年~2006年)。活動の場をスペインに移し、アトレティコ・マドリー(2006年~2009年)、2度目のメキシコ代表監督(2009年~2010年)を経てレアル・サラゴサ(2010年~2011年)、エスパニョール(2012年~2014年)の監督を歴任してきた。 ■守備を重視したカウンター狙いを徹底 シーズン途中の2010年11月に監督に就任し、開幕直後から下位に低迷していたレアル・サラゴサを最終的には13位で1部に残留させたシーズンからアギーレ氏を見続けてきたラジオ局『カデナ・コペ』のフアン・アリアス記者は、同氏の基本戦術をこう振り返る。「レアル・サラゴサ時代から守備を重視したカウンター狙いを徹底していた。粘り強いディフェンスから前線に配置したワントップを起点に速攻を仕掛けるスタイルは、エスパニョールを率いても変わらない。レアル・サラゴサでの1年目はこうした戦い方が見事にはまって残留を果たしたが、翌シーズンには再び失速してしまい、途中で解任されている。エスパニョールにおける人間関係は良好だったが、ファンやサポーターは常に守備的な戦術に対して、どちらかといえば批判的だった」。