数万人が虐殺された韓国・済州島「4・3事件」、なぜ事件を正当化する勢力が台頭しているのか 人気ドラマ「私たちのブルース」の舞台は今
▽ユネスコの世界記憶遺産に 「済州が被った国家暴力による悲劇が世界で繰り返されないよう、記録を残さなければいけない」。済州特別自治道の呉怜勲知事はこう訴え、遺族会と共に、事件の裁判資料や被害者の証言などをユネスコの「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録させることを目指す。 4・3事件では、村ごと焼き払う「焦土化作戦」もあった。漢拏山の中腹にある観音寺では、避難してきた住民が軍に殺され、建物が焼かれた。寺一帯には軍の宿営地や詰め所などの跡があちこちに残る。特別自治道は、これらを事件の遺跡として国の指定文化財にするよう求めている。 ▽虐殺と日本 下貴里という地区に住む高昌善さん(87)は、農民だった兄が、軍警側に「薪の準備を手伝え」と呼び出されて殺された。済州島の中でも被害が多かった地区の一つだ。「下貴里では日本植民時時代に独立運動が盛んだった。(植民地支配からの)解放後、日本時代の特高警察の人材を主軸にして韓国の警察が作られたから、下貴里は警察からにらまれていた」。高さんは虐殺の背景の一面として、そう話した。
太平洋戦争末期に、旧日本軍は米軍との「本土決戦」に備え、島内に飛行場や地下壕を多数造った。武装勢力と討伐側いずれもが、これらの施設を活用したことが知られている。 1970年代後半に4・3事件を描いた小説を出して軍の拷問を受けた、小説家の玄基栄さん(82)は「少し変な話だが、日本も4・3事件と無関係だとは言えない」と話し、こうつぶやいた。「日本が朝鮮を支配した結果、解放のすぐ後に米ソにより南北が分断されたのだから(南北分断へ反対した人々の蜂起で事件が発生したので)もし日本が朝鮮を支配しなかったのなら、どうなったのだろうか」