数万人が虐殺された韓国・済州島「4・3事件」、なぜ事件を正当化する勢力が台頭しているのか 人気ドラマ「私たちのブルース」の舞台は今
横断幕は3月末に、自治体が強制撤去した。しかし、事件当時に住民を殺害した極右団体「西北青年団」を名乗る団体が追悼式典の会場近くに押しかける騒動もあった。この団体は虐殺について「自由民主主義を守るために不可避だった」などと主張している。 ▽済州島出身者へのいじめ 今年2月、尹錫悦大統領が韓国の警察組織ナンバー2である国家捜査本部長に任命した元検察幹部の息子による校内いじめが発覚した。この息子が数年前に、韓国の北東部にある全寮制の有名進学高校の寮で、済州島出身の同級生を「アカ(共産主義者)」などといじめ、自殺未遂に追い込んでいたというものだ。 校内いじめとその復讐を描いた韓国ドラマ「ザ・グローリー」が大ヒットするなど、最近の韓国では、校内いじめは極めて敏感な問題だ。 尹政権は事態収拾を急ぎ、この元検察幹部の任命を取り消したが、済州島では、いじめで済州島出身者が「アカ」と呼ばれたことに多くの人が憤った。
4・3事件を研究している済州研究院の玄恵慶・副研究委員は「加害者が軽い気持ちで言ったのだとしても深刻だ。『済州の人はアカだ』として虐殺を肯定する考え方に、済州は70年以上苦しんできた」と指摘する。 ▽歴史館になった収容所 済州島の人たちを不安にさせる、そうした動きの一方で、虐殺の記録を残そうという取り組みが進んでいる。今年3月、武装勢力側と見なされた島民の収容所になったアルコール工場の跡地が、事件を伝える歴史館として開館した。 ここに一時収容されていた金昌柱さん(85)は、農民だった父が討伐側に銃殺され、家族で島の中央部にある漢拏山へ逃れて数カ月暮らした。「もう昔のことだが、あまりにも恨みが心の中に固まっている」。山を歩いて移動中に、後ろに付いてきていたはずの弟、妹が倒れて亡くなったと話し、深いため息を繰り返した。 収容者の一部は、その後、韓国本土の刑務所などに移送され、処刑された。だが遺骨が見つからない人も多い。犠牲者の一部は遺体となって長崎県対馬市にも流れ着いたとされる。日本の市民団体「漢拏山の会」は2014年から対馬で4・3事件の慰霊祭を開いており、今年4月2日、工場跡地の歴史館で慰霊祭を行った。