落語家・林家つる子「古典落語の中の女性たちは何を考えていた?」柔軟な発想がつくる落語界の未来
2010年9月に九代目林家正蔵に弟子入りし、今年3月に12人抜きで抜擢真打になった林家つる子さん。インタビューの後半では、女性として伝統芸能の世界で生きることや、女性キャラクターの視点に立ち、古典落語の新たな側面を描き出す挑戦について、お伺いしました。 笑顔が魅力的な、落語家・林家つる子さん(写真)
■古典落語の中の女性たちは、何を考えていた? スピンオフ的な発想から始まった挑戦 ――インタビュー前編では、落語との出合いや長い前座時代についてお伺いしました。第一線に立たれている噺家だからこそ、入門した頃と今とでは、女性を巡る環境がかなり変化していることを肌で感じられているのかなと思います。そのあたりはいかがでしょう? つる子さん:そうですね。女性の落語家も増えましたし、皆さんそれぞれいろんな道を切り開いて成果を残されているので、自然に受け入れる師匠方が増えてきたように思います。お客さんも、入門当時より女性の噺家に慣れてきた気がしますね。 以前は女性の噺家を毛嫌いする通のお客さんもいて、明らかに下を向いているのが高座から分かりました。今もいらっしゃるとは思いますが、その数は減っていて、自然に受け入れられるようになってきたなと感じています。 ――変化の背景には何があると思われますか? つる子さん:近年、SDGsや多様性の考え方が世間の風潮として確立しつつあり、浸透してきたのは大きいと思います。古典落語を裏側から描く私の挑戦も、その波が世間で大きくなったあたりから取り上げていただけるようになったと思いますので。 ――そもそも、「古典落語を、女性キャラクター目線で裏側から描いてみよう」と思われたきっかけは? つる子さん:前座の頃って、師匠方のお付きでいろんな所に行くので、すごい数の高座を聞かせていただけるんですね。よくトリネタでかかる噺に、「芝浜」や「子別れ」があります。「芝浜」は、浜辺でお金がぎっしり入った財布を拾ってきた亭主が酒に酔って眠っている隙に、財布を隠したおかみさんが、「財布を拾ったのは夢だ」と言い聞かせる噺。 後々、おかみさんの口から、「大家さんと相談して夢だということにした」と語られるのですが、落語の中に相談シーンは描かれていなくて。「どういう経緯で夢にすることにしたんだろう?」と想像をふくらませているうち、具体的に絵が浮かんできたんです。 ――スピンオフ的な発想から始まったんですね。 つる子さん:小学生の演劇クラブの頃から不思議と、主役を脇で支える人に興味があったんです。「子別れ」は離縁した夫婦が復縁する噺ですが、こちらも古典落語の中では、出て行ったおかみさんと子どもの生活はほぼ描かれていない。そこも、「こういう感じだったんじゃないかなぁ」というのが浮かんできたので、前座の終わり頃から、「二ツ目になったら、この二つの演目のおかみさんを主人公にして、裏側から描いてみたい」と思っていました。 ■賛否両論、でも、賛が多かった。自分のやりたいことで、誰かの背中を押せるなら ――考えていたことを着実にやり遂げてこられたんですね。 つる子さん:いえいえ、自分自身がいっぱいいっぱいで、ネガティブになっていた時期もありました。やりたいことが思うようにできていなかったり、寄席でもお客さまの反応をあまり得られなかったり、後輩も出てきたりして。ちょうど、噺家になって10年目を迎える時期だったこともあり、「誰かと自分を比べるのをやめて、やりたいことをやってみよう!」と切り替えたんです。そこで、自分の会で、おかみさんの視点から描いた「子別れ」をかけてみました。 ――お客さんの反応はいかがでしたか? つる子さん:好意的に、「面白いじゃん、この挑戦」と受け止めてくださって、その半年後に「芝浜」をかけました。こちらの評判も良く、これからもこの2作をブラッシュアップしていこうと思っていた矢先にコロナ禍になったんです。 ――あぁ……。その頃は、寄席の休業や入場制限もありました。出番もググっと減った訳ですよね。 つる子さん:落語界全体が苦境に陥りました。一方、時間が出来たことで、おかみさんを主人公にした落語とじっくり向き合うことができました。入場制限もあって、20人も入らない会を細々と続けていたのですが、「この状況の中、落語会に来てくださったということは、本当に私の噺が聞きたくて来てくださっているのだろうから、その方のためにできることを精一杯やろう」と気持ちが固まった時期でもあります。 ――その挑戦が、NHKの『目撃!にっぽん』で取り上げられました。 つる子さん:たとえどんな状況でも、生涯やっていこうと思っていた演目だったので、オファーがきて、ありがたくて。半年ほど密着していただいて、それが放送されることによって不特定多数の方に一気に届くといううれしさがありました。 その反面、間違った見方をされるのではという不安もありました。案の定、そういった意見もありましたね。古典落語を変えるなんて侮辱じゃないのかとか、「フェミニズム的な作品だ!」と過剰に批判されたりですとか、SNSの時代なので、見たくなくても目に飛び込んでくるんです。 ――“女性の”立場を確立させたいから、新しい古典落語に挑戦しようということではなく、古典落語のスピンオフ的な位置づけの作品…ということですものね。 つる子さん:はい。古典落語には描かれてこなかった、脇の人々の思いを描きたかったということです。ただ、そういった意見もくるだろうとは思っていましたし、自分がやりたいと思ってやった挑戦でもあったので、精神の平穏を保つことができました。 意外だったんですけど、思った以上に賛のご意見もたくさんいただいて。女性の視聴者さんから、「いま自分も男性社会に居て、周りに合わせる努力をしているんだけど、それが辛くなっていた。けれどこの番組を見て、新しい道を切り開く努力をしてもいいんだと思えて心が軽くなった」という趣旨のご感想をいただきました。 ――それは、報われますね。 つる子さん:「やってよかった!」と思えた瞬間でした。たくさんの人に届かなくても、たったひとりでも背中を押してもらえたと言ってくださる方がいるなら、その人のためにこの挑戦は続けていきたいなと思いました。もちろん噺も磨いていきたいんですけど、挑戦すること自体が誰かを勇気づけられるのかもしれないということがわかったので。 ■落語はもともと柔軟なもの。私なりの『芝浜』があったっていい ――他の落語家さんからも、つる子さんの挑戦は評判になっていたと聞きました。 つる子さん:うれしいです。わざわざ電話をくださった師匠もいて、「見たよ。面白いね、あれ」「こういう手があったか」と言ってくださったりして。 「女性が落語の世界に入ることで、何か工夫できることがあるのではないか」と、もどかしく思っている師匠もいらしたみたいで、「いい試みだから、頑張って」とも言っていただきました。そうじゃない思いの師匠もいると思いますけど、面白がってくださる師匠がいるというのは励みになりました。 ――新しいエンターテインメントが次々に生まれる時代です。その中での新しい試みは、「落語ファンを増やしたい」「リーチする層を広げていきたい」という師匠方にとってはウェルカムなのかなと思います。 つる子さん:古典落語って、各師匠が工夫をされて、柔軟に変化させながら今も残っているものなんですね。特に『芝浜』は、やる師匠方によってまるで演出が変わってくるんです。 ――そこまで変わるとは知らず、『あかね噺』(落語家の父を持つ少女が真打を目指す物語のマンガ。『週刊少年ジャンプ』で連載中)でそのくだりを知って驚きました。 つる子さん:おかみさんのキャラクターも師匠によって違ったりします。そういった先人の工夫があったからこそ、私なりの『芝浜』があってもいいのかなと思えたんです。 ■吉原に生きる女性たちにも、楽しみはあったはず。次回作への意欲も十分! ――2023年12月には、紺屋の職人・久蔵から描いた『紺屋高尾』を柳家吉緑さんが、久蔵と恋に落ちる吉原のトップ遊女・高尾から描いた『紺屋高尾』をつる子さんが高座にかける二人会がありました。その中でつる子さんは、高尾の友だちの「たまき」というキャラクターを登場させています。 つる子さん:古典落語に出てくる吉原って、お金が無くて、やむなく娘を売った酷い場所という描かれ方なんですね。それは実際にあったことです。だけど、遊郭の中にも暮らしがあり、遊女たちは365日24時間ただ辛い思いをしていたのではなく、彼女たちなりの楽しみもあったはずなんです。古典では描かれてこなかったそこが、描きたかった部分です。 ――だから、つる子さんの『紺屋高尾』は、高尾とたまきが楽しく笑いあうところから始まるんですね。 つる子さん:遊女たちにだって、豪快に笑う瞬間もあったでしょうし、遊女同士の友情も育まれたはず。『紺屋高尾』は、高尾がたった一度の逢瀬で久蔵の誠実さに打たれる噺なんですけど、それは高尾が、相当ウソで傷つけられた過去が無いと成立しない気がしたんですね。 そして、自分もそうなんですけど、自分自身が嘘をつかれるより、大切な人が嘘で傷ついてしまったときのほうが、痛みは倍になると思い、たまきを高尾の親友として登場させ、嘘に翻弄される遊女たちのストーリーが生まれました。 ――2025年2月には、2回目となる吉緑さんとの二人会がありますね。今回の演目は『柳田格之進』だとか。 つる子さん:そうなんです。『紺屋高尾』は『芝浜』『子別れ』の後に挑戦した演目なんですが、そこで吉原や遊郭に興味が湧くようになって、今回の『柳田格之進』につながっていきました。 こちらは、濡れ衣を着せられた武士の父と娘・絹のお噺です。古典落語での絹は、吉原に行って、目も当てられない状態で戻って来たと描写されています。そういう場所だったというのも事実だと思うのですが、絹の場合はある程度、年を重ねてから遊郭に売られていますし、武士の娘ということで素養もあったことから、すぐに見世にあげず、ある意味、大切に育てようと思われた気がするんです。そういう矛盾点を解消しながら、この噺の本来のよさを引き立てたいと思っています。 ――来年の二人会が楽しみです。『柳田格之進』以降、挑戦したい演目はありますか? つる子さん:古典の演目でいうと、『文七元結』はちょっとやってみたいと思っています。これも同じく娘を吉原にやる噺ですが、現代の感覚でいうと、やはり疑問に思ってしまう部分があるんですね。 あと、史実として残っている高名な遊女を題材にした新作にも挑戦してみたいと思っています。才色兼備で諸芸に秀でた玉菊花魁という方がいて、同僚の遊女からも大人気だったそうなんですが、大酒飲みで、25歳の若さで亡くなってしまったんですね。この方のエピソードはかなり残っていて、講談になっているんですけど、落語にはなっていないので。 ――おぉ、楽しみです! では最後に、今の落語界に思うことや、落語界のためにやっていきたいことをお聞かせください。 つる子さん:いまの寄席の大半は、私より年上のお客さまに支えていただいています。とはいえ、若い世代のお客さまにも、落語を知っていただきたい。若いお客さまがいらっしゃると、楽屋で、「今日は若いお客さまがいるね」と話題に上がるぐらいなので。ラジオなど別の現場に呼んでいただくと、落語を聞いたことがないという方がほとんどです。 でも、そういう方も何かきっかけがあると、「落語って面白いんだね」と言ってくださるので、どんどんきっかけを作っていける人にならないと。落語の未来のためにも、これは私に限らず私たちの世代の課題なのかなと思います。 ――つる子さんご自身も大学の新入生勧誘ではじめて落語に触れて、今があります。 つる子さん:あれがなかったら落語を知らないままだったかもしれませんし、些細なきっかけですけどここまでのめり込みました。それに、落語は何百年も前に生まれて、今なお続く伝統芸能です。365日、誰でも来られる状態で毎日寄席が開いていますし、落語会も全国各地で開催されています。ぜひ一度、聴きに来ていただけたらと思います。 そのためには落語はもちろん、YouTubeであったり、音楽であったりの挑戦を続け、いろんなジャンルで私を知っていただき、ひとりでも多くの方に落語を聞いていただければと思っています。