9歳で失った右足「自由な移動」を夢見て華人起業家が開発した「ロボット義足」 ものづくりとイノベーション、日中の強みを融合
9歳の時に病気で右足を失った男性が、ロボット工学を応用し歩行動作をアシストする次世代の義足を開発した。男性の名前は孫小軍さん(35)。中国で最も貧しい省の一つとされる貴州省の農家の生まれで、日本に留学していた大学院生の時に義足に出会った。松葉づえに頼っていた生活は一変したが、従来の義足の限界を感じ、「ユーザー目線の義足を開発したい」と起業した。 孫さんのように、中国にルーツを持ちながら日本への留学後にそのまま残って起業する若者が増えている。日本のものづくりの技術を生かしつつ、中国流のスピーディーなビジネス判断で事業を展開。日中双方の強みを融合しながら挑戦する、新世代の華人起業家たちを追った。(共同通信=山上高弘) ▽高価で手が出なかった義足、勉学に励み名門大学に進学 義足の開発会社「BionicM(バイオニックエム)」が開発する次世代義足は、搭載する複数のセンサーがユーザーの姿勢や動作を認識し、電動で動きをアシストする。動力を持たない従来型の義足と比較して「ロボット義足」とも呼ばれる。社長を務める孫さんは東京大学の構内に設けられた研究施設で取材に応じ「技術によってモビリティー(移動性)を取り戻す。人間らしい自由な生活が送られるようにサポートしたい」と語り、自らの右足を見つめた。
孫さんは中国・貴州省の農家に生まれた。小学3年の時、友人とバスケットボールをしていた際に右足に痛みを感じた。病院で検査すると骨に発生する悪性腫瘍の骨肉腫と判明。「手術しないと数年しか生きられない」と医者に告げられ、わずか9歳で右足を切断した。 中国では助成制度が十分ではないため義足はとても高価で、一般市民には手が出なかった。松葉づえでの生活は両手がふさがれ、不自由を余儀なくされた。好きだったバスケも、友人たちのプレーを眺めることしかできなくなった。 「遊ぶこともできず、勉強を好きになること以外に選択肢がなかった」。落ち込む日々を乗り越え、懸命に勉学に励んだ結果、中国の名門の理工系大学に進学した。材料工学を専攻し、日本の高い工学技術への関心もあったことから、2009年に東北大学との交換留学生として来日。卒業後は、東京大学の大学院に進学した。 ▽従来の義足に限界を感じ、課題解決のために起業