フッサールの本は言葉をこう置き換えればクリアに理解できる…現象学の「超解読法」!
(2)『危機』の超解読法
《まず前もってあるのは世界である。すなわち、たえず存在確信と自己確認のうちであらかじめ与えられている、疑いを容れない世界が先行している。》(55節 341ページ) 【超訳】誰もが世界が客観的に存在するという自然な確信をもっている。 《生活とは、たえず〈世界確信のうちに生きる〉ということである。〈目覚めて生きている〉とは世界に対して目覚めているということであり、たえず現実的に、(略)世界の存在確実性を真に体験し、現に遂行しているということである。》(37節 255ページ) 【超訳】生活世界の中で生きているとき、私は世界の現実存在、またその中のさまざまな対象の存在とその様相を自然に「確信」している。この「世界確信」は、内在的意識のうちで不断に構成されているものである。 《存在であろうと仮象であろうと、それは、当の主観が事実上たとえば一つの知覚を遂行しているということ、「ここにこの樹がある」という意識をもっているということ、そしてそのさい彼が、知覚の本質に属するところの端的な確信、つまり端的にそこに存在しているという確信をもっているということをなに一つ変えることはない。》(69節 425ページ) 《すべての作用は、作用している人にとってその時どきの内容をもった確信態であるか確信態の諸様相(不確信態、推測態、空無態)であるか、なのである。しかし(略)たとえば、存在確信は価値確信とは異なるし、この両者はまた実践的確信(たとえばあるもくろみについての確信)とは異なっており、それぞれがその諸変様態をもっている。》(69節 425ページ) 【超訳】いっさいの認識は、内在的意識のうちで構成された対象確信だが、この確信構成は、単に事物の存在についての確信だけでなく、事物の対象性についてのさまざまな価値感情とその強度についての確信だったり、また何かを為すべきだとする実践的な意志の確信であったりする。 《各人の世界意識は、すでにあらかじめ、すべての人、つまり知っている人も知らない人も、おそらく出会うことになるであろうすべての主観(略)にとって同一である世界についての、しかも存在確信という様態での、意識なのである。》(71節 453ページ) 【超訳】すべての人間が、そうした仕方で世界とその対象についての確信を主観のうちで構成しているが、またすべての人間が、他人もまた自分と同じ世界についての確信をもっているという間主観的な相互確信を構成している。このことが、われわれはすべて同一で唯一の客観世界のうちで存在しているという自然な世界確信を不可疑なものとしている。
竹田 青嗣、荒井 訓
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