飲むお酢、ピクルス…~健康志向で酢が大人気
米酢の弱点克服へ~創業131年の革命
飯尾醸造の創業は1893年。以来130年以上、伝統を守りながら新たな酢の道を切り拓いてきた。その礎を作ったのが飯尾の祖父、3代目の輝之助だ。 農薬を使うのが当たり前だった1960年代。輝之助は、農薬を使わない米でお酢造りを始め、当時言葉さえなかったオーガニック商品を世に送り出した。 4代目を継いだ父・毅はさまざまな商品開発で攻めた。寿司や酢の物などの料理用や飲むためのお酢など、用途に合わせた商品を次々と開発していった。 5代目の飯尾は1975年生まれ。幼いころから家業を継ぐことを意識していたという。 「父が30年前にポン酢を作った時、1カ月ぐらい毎晩水炊きや豚しゃぶを食べてこの味に決まった。中学生でしたが、仕事をしているようで楽しかったです」(飯尾) だが当時、毅には悩みがあった。主力の米酢の売れ行きが伸びないことだ。味はいいが米酢独特のつんとしたにおいが苦手という声が、一部の客から上がっていたのだ。 「父親の大きな悩みだった。それを中学生の頃から聞かされていて、『大学に行ってお酢の香りを研究してほしい』と」(飯尾) 1994年、飯尾はそんな父の思いに応えて東京農業大学に入学。大学院まで進み、酢のにおいの研究に没頭した。 米酢のにおいの原因となっていたのは、発酵する時に生じるダイアセチルという物質。消すためには米の量を減らすか、発酵期間を短くするしかないが、それでは酢そのものの味が落ちてしまう。結局、在学中ににおいを消す方法を見つけることはできなかった。 「実業としては全く役に立たない研究結果に終わりました」(飯尾) 大学院を修了すると、営業を学ぶために「東京コカ・コーラボトリング」に入社。2004年、祖父の他界をきっかけに家業の飯尾醸造に入った。 「帰ってきた後、年々売り上げが下がっていました。今の看板商品よりも品質の高いものを作ることが必須だなと思いました」(飯尾) こうして飯尾は新たな看板商品をつくるため、再びダイアセチルのにおいと向き合うことになった。だが、飯尾醸造には大学のような高度な研究設備はなく、専門的な研究はできない。そこで飯尾は発想を変えた。 「お酢の香り全体を俯瞰してみた時に、一つの香りを減らすのではなくて、全体の調和がとれているものづくりができればいい。そう発想を転換しました」(飯尾) においを消すのではなく、米の量を増やしてできる別の香りで、ダイアセチルのにおいを覆い隠すことにしたのだ。こうして発酵の温度や時間など、試行錯誤を繰り返し完成したのが「富士酢プレミアム」(1800ml、4320円)。旨味を引き出しつつ、つんとしたにおいをやさしい香りで包み込むことに成功した。 「本当にうれしかったです。今までの香りとは全然違う。うまみも増えて、世の中になかったお酢ができた」(毅) この新しい酢を多くの人に知ってもらいたいと、飯尾が訪ねたのは東京・銀座の「てんぷら近藤」。国内外の著名人から支持され、16年連続ミシュラン二つ星の名店だ。 飯尾はできたばかりの新しい米酢を試してほしいと、店主の近藤文夫さんに直談判した。 「だいたい僕はお酢が苦手なんです。でもこのお酢はなかなか合うとわかった。思ったよりもいい酢だなと。普通売っているお酢は、酸っぱいだけで味がない。味のあるお酢は少ない」(近藤さん) 近藤さんはその場で仕入れを決定。これを機に他の料理人たちにも広がっていった。 「『いいんですか』とびっくりした気持ちでした。雲の上のような存在の料理人の方に使っていただけるというのは、むちゃくちゃうれしかった」(飯尾)