ラウ・アレハンドロ「僕は日本の大ファン」常田大希とのコラボ、新作『Cosa Nuestra』を語る
10月19・20日に開催された「Coke STUDIOライブ 2024」にて日本での初ライブを行ったプエルトリコ出身のシンガーソングライター、ラウ・アレハンドロ(Rauw Alejandro)。ラテン・ミュージック界のスーパースターのステージは圧巻のものだった。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 イベントには国内外の人気アーティストがラインナップに並んだこともあり、彼目当ての観客は決して多くはなかったはず。それでも世界中を席巻したヒット曲「Todo de Ti」を筆頭に強靭なビートと人懐っこいメロディを持つ楽曲を次々と披露していくと、十数名のダンサーを従えたパフォーマンスでオーディエンスを魅了していた。さらに20日のステージにはスペシャルゲストとして常田大希が登場。プロデューサーのタイニー(Tainy)と共にフィーチャリング参加したMILLENNIUM PARADEの新曲「KIZAO」も初披露され、大きな盛り上がりを生み出していた。 2020年にデビューアルバム『Afrodisíaco』をリリース、2021年の2nd アルバム『Vice Verca』で大きくブレイクを果たし、これまでに4度のグラミー賞ノミネート、2度のラテン・グラミー賞獲得など数々の評価を集めてきた彼。レゲトンをベースに、ハウスやディスコ、ファンクやR&Bなど多彩な音楽をクロスオーバーさせた革新的な音楽性が持ち味だ。 11月15日には前作『Saturno』から2年ぶりとなる4thアルバム『Cosa Nuestra』もリリースされる。ライブ前に都内で実現したインタビューでは、MILLENNIUM PARADEとのコラボの制作背景や日本のポップカルチャーへの愛情、新作の方向性について話を聞かせてもらった。 * ―まずはMILLENNIUM PARADEとのコラボ曲「KIZAO」について聞かせてください。話を受けての最初の印象は? ラウ:僕は日本の大ファンなんだ。日本のアーティストとコラボレーションして、サウンドの幅を広げ、アイデアを交換したいと思っていた。だからMILLENNIUM PARADEとのコラボレーションもぜひ実現させようと思った。ラテン・レゲトン界の友人であるタイニーともね。で、日本に行ってダイキ(常田大希)とそのチームに会った。札幌でKing Gnuのライブを生で観ることもできた。僕はスタジオに入って仕事をする前に、まず相手のアーティストと知り合って友達になるのが好きなんだ。そこからアイディアが湧いてくるからね。 ―楽曲は東京とマイアミのスタジオで共同制作したということですが、どのように進めていったんでしょうか。 ラウ:日程調整が難しかったんで、まずはお互いにアイディアを送り合って、マイアミで曲を完成させた。タイニーと僕はプエルトリコ出身だけど、拠点はアメリカにあるし、ニューヨークとマイアミでよく仕事をしている。この先いつか東京にも拠点を置きたいと思ってるよ。 ―これまではプエルトリコや中南米のアーティストへのフィーチャリングが多かったと思うんですが、日本のアーティストとコラボレーションをしようと思った理由は? ラウ:もともと僕は子供の頃から日本の文化に興味があって、日本の街も好きだった。特にアニメのファンだった。で、自分の仕事は音楽だし、日本には素晴らしいアーティストがいるから、日本で音楽の仕事をしたいと思ったんだ。日本にはたくさんのユニークなサウンドがあるしね。僕もそこから学びたい。これは文化とアイデアの交流なんだ。日本のアーティストとコラボレーションすることで日本のファンに自分のスタイルを提供することができるし、自分が受け取ることもできる。プエルトリコの人たちにももっと日本の音楽を聴いてもらいたい。そして日本の人たちにもプエルトリコの温かさを聴いてもらいたい。 ―アニメ好きと言えば、『るろうに剣心』の緋村剣心のタトゥーが腕に入っているんですよね。「QUE RICO CH**NGAMOS」のMVでは実際に東京で撮影した映像を用いたりもしていました。日本のカルチャーからはどんな刺激や影響を受けていますか? ラウ:どんな影響があるのかはわからないけれど、とにかく自分が好きなことをやっているだけなんだ。そして自分が好きなものをファンに見せたい。僕がすることはすべて心から情熱を持ってやっていることだし、自分がハッピーになるものを取り入れている。それが日本の文化なんだ。 ―同郷プエルトリコのアーティストには、タイニーやバッド・バニーなど日本のアニメやポップカルチャーの要素を自作に取り入れるアーティストも多いと思います。また今回の来日をきっかけに日本のリスナーにももっとプエルトリコのアーティストの音楽が広まってほしいと思います。プエルトリコと日本との文化的な結びつきをどう感じていますか? ラウ:この結びつきがもっと大きくなって、強まっていけばいいなと思うよ。プエルトリコと日本はどちらも島国で、海岸線とか、山とか、いろんな共通点がある。プエルトリコの文化は明るくて美しいし、食べ物も日本と同じように美味しい。将来は僕たちアーティストの活動によって文化がもっと結びついていけばいいと思うし、音楽だけでなくコラボレーションが広がって、日常生活でもいろんなつながりが生まれていったらいいなと思う。 ーあなたはこれまでのキャリアで、レゲトンをベースにドラムンベースやハウス・ミュージックなどさまざまなジャンルの音楽を取り入れてきましたよね。その音楽的な野心はどういう由来からくるものなんでしょうか。 ラウ:僕はレゲトンから音楽のキャリアを始めた。レゲトンはプエルトリコのストリートから生まれた音楽で、大衆の音楽なんだ。 でも、僕はアーティストとしていつも同じことをするのが嫌いだし、ひとつのジャンルにとどまるつもりはなかった。だから、いつもスタジオで新しい音楽性を探していたし、何でもやりたいと思っていた。それが少しずつ自分をアーティストとして、プロデューサーとして、作曲家として、そして人として成長させてくれたんだと思う。だから僕はどのプロジェクトにおいても、新しい提案を取り入れてきた。自分のやっていることをただ繰り返すようなことはしたくないし、同時に自分のエッセンスを大切にしている。自分の本質を見失わないようにしてきた。それが僕のキャリアを成功に導いたんだと思う。もちろん、新しいことをするというのにはリスクはある。だから多くのアーティストはやらないと思うんだ。でも、あえて大胆になること、リスクを省みずにやってきたことが成功につながったんだと思う。