箱根駅伝「メガホン芸」秘話も 芸人・代走みつくにの生き方
細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出演
「メガホン芸」秘話も 芸人・代走みつくにの生き方 THEPAGE大阪
「笑いの波の防波堤 代走・み(3)つ(2)く(9)に(2)です」と舞台で元気に声をあげてからネタを始める松竹芸能のお笑い芸人、代走みつくに(42)。テレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」で「メガホン芸」と評された箱根駅伝スタッフネタなどで知られているが、プライベートでは男の子3人の優しいお父さん。そんな代走みつくにの横顔とは?
周囲で自分を見て笑う人の姿みて、芸人の道を志す
兵庫県神戸市灘区出身。小学生のころから、家ではテレビにかじりつき漫才ブームや「オレたちひょうきん族」などを家族で見るのが楽しみだったという。初めて笑いを仕事にしたいと思ったのは中学生の時、きっかけは同級生らにイジられていることだった。 「同級生が僕をイジってたんですが、まあ言い換えればいじめられっ子やったんです。けど、周りにはそう見せないというか『笑かしているんだ』と自分に言い聞かせてました」。そうした考えを持っていくと、人が自分を見て笑っている姿を目の当たりにし「こういうのが仕事になったらええなぁ」と考えたという。 そのころには関西ローカルで放送されていたダウンタウンの「4時ですよ~だ!」、森脇健児、山田雅人の「ざまぁKANKAN!」などのテレビ番組、「MBSヤングタウン」「誠のサイキック青年団」といったラジオ番組を毎日のように見たり聴いたりしては、芸人への憧れは日に日に増していった。高校に入ってからは、大阪へ行っては「浪花座」や「なんばグランド花月」へも通いはじめ、芸人熱は増していくばかりだった。 そして大学4回生の夏、新聞のテレビ欄で「松竹芸能タレント募集」の広告を見て、就職活動をしないことを決めた。そして、オーデションを受けに行き合格。「松竹芸能に就職決まったから」と両親に事後報告すると、両親は天を仰いだが「しゃーないな」と納得したという。
おでん屋台で偶然出会った女性が妻に
松竹の養成所に入ったものの、すぐに舞台デビューというわけにはいかない。現在でこそ若手のライブなどがさかんにおこなわれているが、当時は月に2回、サテライトライブなどがあったくらい。養成所でおもしろさを見せたら、そのライブにも出られたのだろうが、出場の縁はなかった。 しだいに、劇場の音響や演歌の歌謡劇場音響や進行係を担当し、生計を立てては、時間のある時に劇場へ通って客席で鑑賞。これまで、お金を払って見ていた舞台をタダで見られるというだけでも、テンションは最高潮だったという。「自分が売れるというストーリーが頭になくって。勉強させてもらえるだけでも幸せでした」 プライベートでは、30歳の時に転機が。先輩の漫才コンビ「オーケイ」の岡山祐児と仲がよく、自宅にも毎日のように出入りしていたころ。近くのおでん屋台で、ある女性と出会った。聞けば自宅は岡山と同じマンション。そこで岡山が代走と女性に「デートせえや」と言って仲を取り持ち、そのまま女性とゴールイン。まだ新婚だった岡山が仲人もしてくれた。 そして、プロポーズは大がかりなことに。こちらも公私共にお世話になっているという安田大サーカス・団長安田や、シンデレラエキスプレス・渡辺裕薫のライブ、そして同じく先輩の森脇健児のラジオやテレビ番組など、合わせて4回、サプライズで実施。「奥さんは、この4回とも毎回感動してくれまして、2回目以降は、あれだけの反応をしながらOKの演技するのも大変やったと思います」と照れ笑いしながら振り返る。