温泉旅館が25年間でほぼ半減「泊食分離」絶品料理でニッポンの危機を救う!
温泉旅館を守れ!秘策は伝統からの脱却!?
草津温泉や伊香保温泉とともに“群馬の3名湯”といわれる四万温泉も、大きな課題に直面していた。 「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルともいわれ、日本最古の木造湯宿建築と伝えられている「積善館」もあるが、温泉街の中心にある商店は軒並み閉店。最盛期の80年代には、商店や宿泊施設が130軒以上あったが、2023年現在は半分ほどに減っている。 中には全国に知られた旅館やホテルもあり、設備を充実して料理に力を入れ、趣向を凝らしたサービスで客を楽しませている。しかし一方では、温泉街に繰り出す人が減り、温泉街全体で見ると徐々に衰退していたのだ。
このままでは温泉街が消えてしまう…。危機感を募らせた四万温泉協会の事務局長・宮﨑博行さん(38)は、温泉街を再生させるために立ち上がった。実家が土産店の宮﨑さんは、大学を卒業し、地元に戻ってきた。
12月。宿の経営者が集まる旅館部会で、「和食の職人が圧倒的に少ない」という議題が上がった。高齢化や人手不足で、食事の提供に困っている宿が出ていたのだ。そこで検討されているのが、「泊食分離」。宿泊と食事を別にすることで旅館の負担を軽減し、飲食店の利用を増やすというもので、温泉街全体の活性化にもつながる。
宮﨑さんが実施したアンケートでは、回答があった32軒の旅館のうち、5軒が泊食分離に前向きな姿勢を示してくれた。そうした中、宮﨑さんは、町の中心地から2キロ離れた「中生館」を訪れる。泊食分離を試験的に試せないか、相談に来たのだ。 宮﨑さんが「夜の飲食店の営業が増えることが最優先事項」と話すと、宿の主人・中路真嘉さんも「旅館の中で完結してきた歴史が、昭和の後半からあった。それは結局、お金の回り方が地域の中で単調化してしまう。旅館だけしか儲からないのは、すごくもったいない」と答える。 実はこの2人は幼なじみで、故郷への熱い思いも一緒だった。中路さんが後を継いだ「中生館」は、1941年にそば屋として創業。待ち時間に温泉に入れる店で、その後、本格的に温泉旅館として開業した。 中路さんの父親が3代目で、代々家族経営で小さな旅館を守ってきたが、6年前、中路さんが4代目に。実は中路さん、東京の大学院で植物の研究に没頭し、博士号を取る目前だったが、「研究は自分のためだけだったが、こっちは地域のためにもなる」と家業を継ぐことに。このままではじり貧になると考えた中路さんは、1泊2食付き2人以上の宿泊という旅館の常識をやめ、新たに一人旅に特化した部屋(1泊7000円~)を5部屋作った。