「落ち込んでいいんだよ」大阪桐蔭・西谷監督がコロナで甲子園中止の報を受けた部員にかけた言葉、名門校の強さの原点をOBが語る
大阪桐蔭が今年の甲子園の初戦・興南戦を迎える。 毎年のように結果を出す名門校はコロナ禍をどう過ごしたのか。大阪桐蔭出身で現在法政大の主将を務める吉安 遼哉選手が振り返る。 【一覧】第106回全国高校野球選手権大会 組み合わせ
甲子園中止で頭が真っ白になった
――2年秋、新チームになりましたが、控えだった藪井 駿之裕選手が主将。どんな成り行きで決まったのでしょうか。 吉安 レギュラーの中ですぐキャプテンをやれるような選手がいませんでした。投票で決めることになったんですけど、藪井の練習の取り組む姿勢、気持ちの強さが伝わってきたので藪井に投票しました。最終的に彼が甲子園交流戦の東海大相模戦で決勝打を打って勝つことができて、彼をキャプテンにして良かったと確信しました。出られなくてもひたむきに頑張っていた姿を見ていたので嬉しかったですね。 ――秋にファーストから捕手に復帰し、課題だったキャッチング、スローイングはどのように鍛えてきましたか? 吉安 とにかく自分はブルペンでどんどん投手の球を受けました。キャッチング、スローイングを練習するというよりも、投手のことはボールを受けないとわからないので、なるべくブルペンに入って、投手ともコミュニケーションをとることを意識していました。 ――秋季近畿大会では決勝進出し、センバツ出場を決めましたが、20年3月、コロナ禍でセンバツ中止が決まりました。あの時の心境はどうでしたか。 吉安 大変な状況になっていると聞いていましたけど、野球部は携帯が禁止なので、世の中がコロナでどれだけ大変なのか、それを実感できませんでした。だから「中止」と聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。どうしたらいいかわからなかったですけど、西谷先生、コーチの方々も無理に「立ち上がれ」などとは言わず、「落ち込んで良いよ」と言ってくれて。そういうのは有り難かったですね。 ――コロナ禍ではどんな練習をしていたのですか? 吉安 4月から5月ぐらいに自宅に戻りました。ただやることもない感じで、何をしたのか覚えていないです。全員で練習することはありませんでした。 ――夏も甲子園中止が決まりました。 吉安 正直、甲子園だけ見ていて、甲子園で優勝するためにこの学校を選んだので……。目標を見失ってしまい、すぐに気持ちを切り替えられなかったですね。 ――どのようにして切り替えて夏の独自大会に向かうことができたのでしょうか? 吉安 この期間、練習よりも3年生は西谷先生をはじめとした指導者との面談や、3年生同士のミーティングも多く、そこで自分が思っていることを言葉にして吐いていった感じです。そこで傷が癒やされてきて、下を向いている場合ではないなと。