「落ち込んでいいんだよ」大阪桐蔭・西谷監督がコロナで甲子園中止の報を受けた部員にかけた言葉、名門校の強さの原点をOBが語る
仲間たちの進路のためにも奮闘した夏の独自大会
――西谷監督からどういう言葉をかけられたのでしょうか? 吉安 最初は「無理するな」と。西谷先生自体ももやもやしている感じが伝わってきました。ただ、進路が決まっていない人もいたので、そいつらのためにも大会で結果を残そうと思いました。大学野球の関係者がいつ来ても、しっかりと活躍して、道を開こうと思いました。実際に僕が法政大に決まったのは、甲子園の交流試合が終わって、セレクションに参加してからです。例年、大学進学組は、春先か、春の大会の終わりには決まっているのですが、コロナ禍もあって進路が決まるのが遅い世代でした。進学先が決まるのが遅かったので、合格をもらってほっとしましたし、だから西谷先生の言葉をより実感していました。 ――こうした進路相談はどのようなタイミングで西谷監督と話をしているのでしょうか。 吉安 2年生の秋の大会が終わったタイミングから僕はずっと大学進学を希望していました。大阪桐蔭の場合、秋の大会が終わってから西谷先生と2年生が個人面談をして、進路の意向を話します ――大阪の独自大会では腰の怪我もありましたが、交流試合では東海大相模との接戦を制しました。 吉安 復帰できたのは大阪独自大会準決勝の履正社戦でした。ただ履正社に負けてから、これではだめだと思って本気で仕上げようとなって、いろんなデータを見て、交流試合に臨みました。ウチのエースの藤江は過去で一番いいぐらいの出来で、逆に1点をとった東海大相模はすごいなと思いました。
後輩たちは学校の友達が応援してくれる幸せを噛み締めてほしい
――吉安選手が卒業してから約4年になりますが、後輩たちは甲子園出場を決めました。 吉安 大阪大会での戦いも危なげない勝ち上がりで、頼もしいなと思いました。コールド勝ちした履正社戦は練習後だったので、携帯で中継を見ていました。後輩たちは春、夏のどちらは甲子園に出場してくれるので、見ていて楽しいですよね。 ――交流試合では無観客でしたけど、甲子園はどうでしたか。 吉安 広くて、バックスクリーンが大きくて、「自分が憧れていた場所がここなんだな」というのを捕手やっていて実感しました。自分たちは吹奏楽の応援が聞けなかったので、後輩たちは学校の友達が応援してくれている幸せを噛み締めてほしいです。 ――現在は4年生になった吉安選手ですが、今後はどうされるんですか。 吉安 僕は社会人でプレーします。そしてプロ入りも目指してやっていきます。 ――大阪桐蔭は全国の中学生が憧れる名門ですが、行きたくて行けるチームではなく、スカウトされた選手しかいけません。大阪桐蔭で活躍できる選手は何が大切でしょうか。 吉安 野球が好きなことですね。思春期だといろいろやりたいこと、誘惑があると思います。とにかく野球が好きではないとこれほどの野球漬けの日々は過ごせません。野球がどれだけ好きなのかで成長具合が変わるチームだと思っています。 <吉安 遼哉 よしやす・りょうや> 180センチ85キロ。右投げ左打ち。大阪府大阪市出身。西淀ボーイズ時代は中学通算20本塁打の強打者として活躍。18年4月に大阪桐蔭に入学。2年春にベンチ入りし、2年夏にはレギュラーとなったが、準々決勝敗退。2年秋から副将としてチームを牽引し、近畿大会ベスト4。20年センバツ出場を決めたが、春夏ともに甲子園中止となり、交流試合で東海大相模と対戦し、接戦を制する好リードを見せた。21年4月に法政大に入学。3年春から主力選手として出場している。4年春までリーグ通算47試合出場、152打数31安打、2本塁打13打点、打率.204を記録。