「(上田)綺世に限らず、FW全員がライバル」2年前に小川航基が抱いた使命感…「W杯ベスト8の壁を破るためには自分のようなFWが必要」
第1回、第2回に引き続き、サッカー日本代表・小川航基選手(26歳)のインタビューをお届けする。ついに覚醒の時を迎えた小川だが、心の中でずっと日本代表への熱い思いを抱き続けていた。「壁を破るためには俺が必要」。ストライカーらしい発言の真意とは? 〈NumberWebインタビュー全3回の最終回〉 【決定的瞬間】「左膝がブチッ…」堂安も冨安も泣いた悲劇のU-20W杯“小川航基の運命を変えた大怪我”ピッチに倒れ込んだ瞬間 「コウキ~!!」オランダの子供達に大人気な小川&争奪戦になった高校時代~茶髪イケイケ期まで全部見る(50枚超) 怪我も重なり、思い描いたプロ生活とは遠い不遇の時間を過ごしていた小川航基。転機はJ2横浜FCに完全移籍した2022年だった。 得点ランキングを独走する活躍でJ1昇格に貢献すると、翌年7月に25歳にしてオランダ・エールディビジのNECナイメヘンへ期限付き移籍を果たした。オランダでは開幕戦からゴールを奪う活躍で終わってみれば公式戦15ゴール。ECLのプレーオフ進出にも貢献している。
ブレないストライカー、ついに開花の時
――改めて、2022年の横浜FCでの1年は大きなターニングポイントでしたね(26得点でJ2得点王に)。 「その前に水戸(ホーリーホック/2019年に期限付き移籍)でしっかりと自分自身と向き合うことができて、自分にもう一度エンジンをかけられた。きちんとステップを踏んできたからこそ、横浜FCで結果を残せたと思います。横浜FCでは、シンプルに四方田(修平)監督の戦術が合っていたことが大きかったと思います。もう1つ挙げるとすれば、自信でしょうか。横浜FCに移籍したときに、得点王を取れると思っていました。自分にはそれくらいの実力はあるし、やってきた自負があったんです」 ――常に自分への期待がベースにある。 「振り返ると、よく自信を持ち続けられたなと思いますけどね(笑)。理由はわからないのですが、持ち続けられていました。なんでなんだろう、ずっとやれると思っていましたし、何よりそれを口にも出し続けてきました。そこだけはやめたらダメだと思っていたんです。言わなくなったら本当に自分が終わりだと。言い続けることで自分を保つというか、自分にプレッシャーをかけ続けるというか。そこは絶対に失ってはいけないものだと本能的に思っていたのだと思います」 ――そこからJ1を半年経験して、念願の海外移籍。4年3カ月ぶりの日本代表復帰となった今年3月の北朝鮮戦の試合後、『リュックサックを1個背負って飛び込む覚悟で』と表現していたことが印象に残っています。 「複数クラブからオファーがあった中で、一番厳しい環境を選びました。移籍を決めた時は佐野航大がチームメイトになるなんて思ってもいませんでしたから、誰も自分を知らない環境で海外生活をスタートさせたいと思っていました。裸一貫では無いですが、自分のこれまでやってきたことと自信以外は何も持たないで行くという意味で、そう表現しました」 ――打算的にならずに身ひとつで飛び出していく。 「そうです。日本を出発してオランダの地に着く時に飛行機の中で、窓際の席だったのですが、『俺は絶対にここで成功する。しっかりと結果を残してA代表に入って帰るんだ』と着陸態勢に入ったオランダの町や滑走路を見て思いました」
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