ダッシュが原因で引退決断「もう終わりかな」 阪神から慰留も固辞…ボロボロだった体
球団から慰留も「チームに迷惑をかけると思うのでやめようと思います」
星野氏はこの時に「体の弱さを感じた。こんな練習で怪我するなんて、もう終わりかなと思った」という。頻脈を心配しながらも何とかしのいで、この年も2勝したが、1シーズンに2度もあった足の怪我は体調面以上にショックだった。「球団からは『来年の給料は当然下がるけど、もう1年どうや』という話をもらったんですが『ありがたい話ですけど、このままではチームに迷惑をかけると思うのでやめようと思います』と言いました」。引退が決まった。 ただし、マスコミ発表に関しては「『もうちょっと待ってほしい』とお願いした」という。「(旭川工時代の野球部監督で恩師の)斎藤(忠夫)先生など、新聞で知られる前に自分で直接伝えたい人がいましたからね。星野監督も『わかった、ノブのゴーサインが出るまで待とう』と言ってくれました」。星野氏はその後、お世話になった方々に電話で一通り挨拶を済ませて球団に連絡を入れたという。 「そしたらすぐ、ある社の記者が家に来たんですよ。『星野さん、辞めるんですか』ってね」と苦笑しながら話した。その年限りの引退が正式に発表され、シーズン最終の10月14日の中日戦(甲子園)が現役ラスト登板になった。先発して打者1人に投げた。中日の1番打者・大西崇之外野手を伝家の宝刀・スローカーブで空振り三振。それで終わった。 「最後、マウンドに上がった時はグッと来ましたけどね。でも久しぶりだったんで、ストライクが入るかなぁと逆にそっちの方が先に……。たぶん空振りしてくれるだろうというのはありましたけどね」。試合後には遠山奨志投手、伊藤敦規投手、葛西稔投手ともに引退セレモニーが行われた。阪神移籍後は3年間で8勝13敗。「タイガースのために投げたという自負はない。ただ迷惑をかけたなと思うだけで……」。 通算176勝。200勝には届かなかった。「やっぱり先発ローテーションを1回外れると難しいですね。きっちり回らないとね。1回外れると入っていくのも難しい。そういう意味ではオリックスでずっとキープできていたのは、そうなって初めてまぁまぁ頑張ってきたんだなっていうのはありましたけどね」。精一杯投げ抜いた。阪急・オリックス時代には11年連続2桁勝利も記録したし、通算2041奪三振は誇れる数字だ。 「僕の場合、まずプロ野球に入れたことがびっくりなのでね。それも本当に導かれるようにプロ野球選手にさせていただいた感じなので。それも(旭川工の)斎藤先生あってのことなのでね。そう考えると不思議な人生だと思っています」。努力を重ね、緩急を駆使して120キロ台のストレートを打者に「速い」と言わせた。独特な投球フォームから繰り出される遅球、巧みな投球術は今も語り継がれている。
山口真司 / Shinji Yamaguchi