ダッシュが原因で引退決断「もう終わりかな」 阪神から慰留も固辞…ボロボロだった体
星野伸之氏は2002年シーズン限りで引退…相次いだ下半身の怪我
阪神の左腕・星野伸之投手(現野球評論家)は2002年シーズン限りで現役を引退した。阪急・オリックスで活躍し、FAで阪神に移籍して3年目。プロ19年目のシーズン中に決断した。体調不良に加えて、夏場の2軍調整中に右太腿肉離れを発症した時に「もう終わりかなと思った」と話す。球団から「もう1年」との声がかかりながら「このままなら迷惑をかけるのでやめようと思います」と身を引いた。 【動画】「危険すぎる」 両軍が一触即発状態になった“負傷”の瞬間 星野氏は阪神2年目の2001年8月下旬に遠征先の神宮屋内で突然、心拍数が増加する頻脈に見舞われ、リタイアした。その後も「体調には波があった。どこで来るかわからなかった」という。そんな不安を抱えながら2002年に突入したが、キャンプ、オープン戦と体調問題も何とかクリアしてレギュラーシーズンに臨んだ。指揮官はこの年から星野仙一監督に代わった。「(前任の)野村(克也)監督とはまた違う緊張感がありました。締まった感じがしましたね」。 すっかり最下位が指定席になっていた負け癖を解消すべく、「優勝するぞ」「優勝するぞ」と意識改革から始めた星野阪神は、最終的には4位だったものの開幕7連勝と最高のスタートを切った。左腕・星野氏も開幕5戦目、4月4日の横浜戦(横浜)に先発し、6回1失点と好投。白星こそ手にできなかったが、チームの5連勝目に貢献した。中13日で先発した4月18日の中日戦(ナゴヤドーム)も7回1失点(試合は延長12回1-1の引き分け)と、好結果を出した。 だが、今度は怪我が星野氏の前に立ちはだかった。シーズン5試合目の登板だった5月26日の中日戦(ナゴヤドーム)に先発。6回無失点で勝利投手になったが、次の登板は8月までずれ込んだ。「ピッチャーゴロのちょっと高いバウンドのを(処理するために)、ジャンプしたかしないかくらいで足がグキッとなって……」。長期の2軍調整を余儀なくされた。 それでも懸命に立て直して1軍に復帰した。シーズン6試合目の8月9日の中日戦(ナゴヤドーム)は、6回1失点で2勝目をマークした。「僕は中日戦の登板が多かったんですよ。なんであの時の中日は僕を攻略できなかったんだって逆に思いますけどね。自分でも絶好調とは全く思っていませんでしたから」。結果的にはこれが現役最後の通算176勝目になるのだが、そうなったのもまた怪我が関係していた。 シーズン7試合目登板の中日戦(8月27日、甲子園)で6回1失点。間隔を空けての次回登板に備え、2軍の鳴尾浜で練習していた際に右太腿肉離れを発症した。「いろんな意味で体力がなくなっているから、その頃はウエートトレもやったりしていたんですよ。でも、若い時からやっていなかったし、急にやっても駄目なんですよね。バランスもとれていないし……。で、全力疾走しただけで肉離れ。太腿の筋肉がぎゅんとなったのは覚えていますね」。