「わたしたちはどう生きるのか」『奇跡の生存者』と呼ばれた“JR福知山線脱線事故被害者”と”津波にのまれ九死に一生を得た男性”2人の問い
東北放送
東日本大震災の津波で児童・教職員あわせて84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の卒業生、只野哲也さんの1年を追いました。津波にのまれながら一命を取り留めた只野さんは、今年から交流が始まったJR福知山線脱線事故の被害者の男性とともに11月、講演会を開きました。只野さんに芽生えた思いとは。 【写真を見る】「わたしたちはどう生きるのか」『奇跡の生存者』と呼ばれた“JR福知山線脱線事故被害者”と”津波にのまれ九死に一生を得た男性”2人の問い ■2人の講演会を開催 只野哲也さん: 「あっという間に11月ですね。びびったんですけど」 石巻市の大川小学校の卒業生、只野哲也さん。11月3日、自らの経験を伝える講演会に登壇するため東京へと足を運びました。 小椋聡さん: 「おはようございます。あっという間にやってきましたね」 ともに講演会を主催する小椋聡さんは、2005年に兵庫県で発生したJR福知山線脱線事故の被害者の1人です。乗客と運転士107人が亡くなったこの事故で、小椋さんは2両目に乗車。足の骨を折る重傷を負いながらも一命を取り留めました。 その後、自らの経験を伝える活動をおよそ20年にわたり続けてきました。 ■只野さんと小椋さん、2人の出会い 2人が出会ってからは4か月あまりと、短い期間ながら準備を進めてきました。 只野哲也さん: 「1年経ってないなんて、びっくりするくらい。去年は他人だったのにこんなところで話しているのが不思議なくらいなんですけど、そのくらい通ずるものがたくさんあるなと」 只野さんが小椋さんと初めて顔を合わせたのは、今年7月。只野さんの活動を伝える報道を小椋さんが見たことがきっかけでした。只野さんらの活動により現在は震災遺構として保存・公開されている大川小学校の校舎を訪れたのです。 小椋聡さん(7月11日取材): 「よく(校舎を)残すという方向になりましたよね。これも無くなるのと残すのでは全然違いますよね」 ■「奇跡の生存者」と呼ばれて… 今年9月には、只野さんがJR福知山線の脱線事故現場を訪れるなど互いに交流を深めてきました。 只野哲也さん(9月25日取材): 「目の前を電車がひっきりなしに通過しているのは胸に迫るものがある」