「わたしたちはどう生きるのか」『奇跡の生存者』と呼ばれた“JR福知山線脱線事故被害者”と”津波にのまれ九死に一生を得た男性”2人の問い
事故と災害をきっかけに「奇跡の生存者」と呼ばれ人生が変わってしまった2人。脱線事故からは来年で20年を迎えますが、小椋さんはこれまで何度もつらい思いを味わってきました。 11月3日、東京で開かれた講演会「わたしたちはどう生きるのか」で、小椋さんはその思いを語りました。 小椋聡さん: 「被害にあった人がテレビのインタビューで『1年経ったから生活も心も落ち着いて前を向いて歩いて行こう』というインタビューを受けていた。それを見るたびに心が切なくなる。事故から1年目は真っ只中でとてもそんな状態じゃない」 それでも、事故をただ悲しいものとしてだけ捉えているわけではありません。 ■「わたしたちはどう生きるのか」 小椋聡さん: 「今まで気づかなかったことに気づかせてもらえたことが、脱線事故の経験だったと思う。もしこの経験がなければ楽しい人生を送っていたと思うけれど、たぶん今ほど『生きていてよかった』という状態じゃなくてスカスカの人生だったと思う」 妹の未捺(みな)さん、母、祖父、そしてたくさんの友人を震災の津波で亡くした只野さんもまた、災害の当事者として小椋さんの思いに共感できると話します。 只野哲也さん: 「(小椋さんの)言葉を借りるとすれば、東日本大震災は僕が地元から外に出る、旅に出るための原動力にもなったのかなと今は受け止めることができるようになった」 最後は災害や事故を自分ごととして捉えてもらうことの大切さを訴えました。 只野哲也さん: 「ここには当事者だとか経験していないという垣根はないと思う。『どう生きるか』を私たちも考えていくし、みなさんにも一緒に考えてもらえたら」 講演会を訪れた人たちは、2人の話を聞いてどう感じたのでしょうか。 訪れた人: 「初めて(話を)聞いた。25歳の若さですごいなと思った」 「普通の生活を送っていた人が、事故や災害で大きく人生が変わっていくっていう部分は他人事とは思えなかった」 ■只野さん、もう一度原点に… 現在、災害危険区域となり人が住むことができなくなった大川の町に、賑わいを取り戻すため、人が集える場所を作ろうと活動している只野さん。小椋さんとの出会いが活動をさらに後押しする出来事になったと話します。
只野哲也さん: 「もう一回、原点に立ち返るというか。なんのためにここでやっていくのか、どういう場所にしたいのかを本気で考えていこうというのを、小椋さんのコミュニティに触れることで感じることができた」 思い出の詰まったふるさとの姿を取り戻すために。小椋さんとの出会いを経て大川への思いは一段と強まっています。 只野哲也さん: 「人の声がもっと聞こえるような。言ってしまえば殺風景なのでここにもっと家族や子供たちの声が響くような空間になれば一番いいな」 只野さんは小椋さんとともに、これまでの経験や2人の交流、今回の講演会について綴った本を脱線事故から20年となる来年4月に出版する予定です。
東北放送