災害前から備える「事前復興」 行政支援をあきらめた100人集落にヒントを求めて
東日本大震災の発生からまもなく9年を迎える。岩手、宮城県の沿岸部を中心としたエリアは、災害公営住宅などハード事業のめどが立ち、復興が進んだかのように見えなくもない。しかし、現状はどうだろうか。まちに人が戻るどころか、沿岸部から内陸の都市部へ人々が移り住むことで、被災地域の過疎化は一段と進んだ。なりわいを取り戻すことができないままの人も少なくない。 復興のどの点に問題があったのか。それを考えるヒントとなりそうなのが、災害前から復興について考え、備えておく「事前復興」という取り組みだ。「事前に高台に移転させる」「復興計画の策定手順をあらかじめマニュアル化する」ことなどが事前復興と位置付けられることも多いが、実はそれらは事前復興の取り組みのほんの一面に過ぎない。行政に頼ることをやめ、住民だけで事前復興計画を作り上げた徳島県の人口100人程度の漁村集落の取り組みを通じて、復興を考えるうえで大切なことは何かを探った。
事前復興のトップランナーは「陸の孤島」
昭和30年代まで、県道もなく、隣接する街に出る道は人一人が通れる山道のみ。唯一の公共交通的なものといえば、小さな船による海上交通しかなかった「陸の孤島」――。徳島県南東部。太平洋に面し、東西に長い美波町の最東端に位置する集落「伊座利(いざり)」はかねてより、独自の先進的なまちづくりを行っていることで知られていた。そして、いま、「事前復興」のトップランナーとしても注目を集めている。 美波町は2006年に旧日和佐町と旧由岐町が合併して誕生。伊座利は旧由岐町の中心部から、お世辞にも走りやすいとはいえない海岸沿いの県道26号を通り40分ほどの場所にある。車がすれ違えない狭い曲がりくねった道が続き、斜面から落ちてきたと思しき石があちこちに転がっている。 海以外の三方を山に囲まれた山裾の小さな入り江にあり、人口はおよそ100人。そんな小さな集落がなぜトップランナーになったのか。初めは「事前復興」など考えていなかった。きっかけは20年以上前にさかのぼる。伊座利漁業協同組合の代表理事組合長、草野裕作さん(68)が当時を振り返る。 「人口減少、少子高齢化によって、通称『伊座利校』と呼んでいる小学校と中学校分校がなくなるという話になった。学校がなくなれば、集落がますます衰退することは目に見えていた。行政に対して支援を求めたが、反応は鈍い。このままでは、数年先には本当に子どもがいなくなってしまう。だから自主的、主体的に住民が立ち上がり、地域を維持する活動を始めたんです」