「心を鷲掴みにされた『難民映画祭』 他人事とは思えず、気づけば手に汗握っている自分」稲垣えみ子
元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。 【写真】原稿書きの合間に「難民映画祭」の作品を観る * * * 今「難民映画祭」というちょっと変わった映画祭が開催中。ええカンヌでもベルリンでもなく「難民」映画祭。国連UNHCR協会が、難民と一括りにされる人にもそれぞれ人生があることを知ってほしいと18年前から開催。今年もオンラインで今月いっぱい、世界で制作された6作品を見ることができます。 私がこの映画祭の存在を知ったのは昨年で、正直、最初はそれほど興味なく。だってどう考えても難しそうだし暗そうだし、でもまあ勉強のため一つくらい見ておくかと、かなり重い腰を上げて見たんですね。なのに、気づけば号泣。それが、難民の置かれた状況に同情して泣いたとかじゃなかったんですよ。普通に「映画」として心をグッと動かされて泣いた。それは本当に久々の映画体験だった。加齢とともに心が擦り切れてきたせいか、もうここ何年も、大ヒット作とか話題作とかみんなが絶賛してる作品とかを見ても、無論それぞれ面白いし考えさせられるんだが、こんなふうに心を鷲掴みにされ気づいたら泣いてたなんてことはもう本当になかったんです。 なのでもちろん、これはエライこっちゃと時間の許す限りいろんな作品を見て、そうしたらどれもこれもすごくて、故に今年も映画祭の季節がやってくるのを心待ちにしておりました。で、やっぱりどれもこれもすごい。 描かれているのはあまりに過酷な現実なのでこんなことをいうのは申し訳なくもあるんだが、それはあまりにも「幸せ」な時間の連続で、もう商業映画は見なくてもいいかもとすら思う(見るけどね)。その理由は自分でもよくわからないんだが、一つ言えるのは、これらの映画に登場する遠く離れた見知らぬ人たちのことがなぜか全く他人事とは思えず、気づけば頑張れ頑張れと手に汗握っている自分がいる。で、その時の自分は孤独じゃないんですよね。 誰かの悲しさを自分の悲しさと感じることって、人が生きる理由というか、人が生きる力になるのかもしれない。考えたこともなかったが、もしかしてそうなのかも。 いながき・えみこ◆1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。著書に『アフロ記者』『一人飲みで生きていく』『老後とピアノ』『家事か地獄か』など。最新刊は『シン・ファイヤー』。 ※AERA 2024年12月2日号
稲垣えみ子