「友人は爆弾で吹っ飛ばされ、10m離れた所に遺体が」大阪にも投下された『模擬原爆』の実態 99歳の証言「いまだに耳の底へよみがえる」
手がかりは地元警防団・副団長の“日記”
西岡さんはその位置を突き止めようと、当時の資料などをあたってきました。目をつけたのが、地元の警防団の副団長だった男性の日記でした。模擬原爆が神戸に投下された7月24日の欄には、次のような記述があります。 『編隊は波状的に近畿に入り当市にも製鋼所付近および北方山中に投弾』 記述をヒントに、終戦直後に撮られた航空写真を確認したところ、製鋼所の北に位置する摩耶山の山中に地面がむき出しになっている場所を見つけました。模擬原爆が落とされたのは摩耶山ではないのか…。
現地調査で見つかった金属片
西岡さんらは去年の11月と12月に現地に入り、金属探知機を使って調べたところ、深さ10cmの地中などから、8個の金属片を見つけました。 (西岡孔貴さん)「これが神戸の山中で出土した鉄片の1つです。結構分厚さがある。何かしら爆弾が落ちたところなんだろうという仮説が裏付けられる」 金属片は鉄でできていて、その形やネジ穴の特徴などから、爆弾の一部の可能性が高いといいます。西岡さんらは、これが模擬原爆のものかどうかを調べるため、検査会社に成分分析を依頼しています。
「模擬原爆は現代にもつながる」79年経った今もなくならない“核兵器問題”
(西岡孔貴さん)「今調査をすることで、よりリアルに、当時わからなかったことを明らかにできる」 次第に明らかになりつつある模擬原爆の実態。西岡さんは研究を進めることで、より多くの人に核兵器について考えてもらいたいと話します。 (西岡孔貴さん)「核兵器の問題は今の国際情勢でもずっと存在している。模擬原爆を取り上げることは現代にもつながるという意味で意義を感じます。多くの方に模擬原爆が投下されたことを知っていただいて、それをきっかけに様々なことを考えていただく、そうしたきっかけを提供できれば」 (2024年8月9日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)