ユダヤ人に命のビザを出した日本人外交官。その記念館でイスラエル人は何を思うのか? 「負の歴史」に向き合う場所で、団体客を乗せたバスを待ち、聞いたこと
終わらない戦争。増え続ける一般市民の犠牲。日本で「戦争」を直接知らない世代が大半を占めるようになったが、2022年に始まったロシアのウクライナ軍事侵攻や、2023年10月以来続くイスラエルとパレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスの衝突など、戦闘に巻き込まれ「死ぬはずのなかった人」が亡くなっている。こうした毎日に、命の価値が揺らぎ続けている。 【写真】歴史が生んだ「世紀の難問」 イスラエル、パレスチナの争いはなぜ始まった? はかなく消えた「希望の光」 ユダヤ人、苦難の2千年… 共同通信記者が基礎から解説 23年
そんな中、「負の歴史」に向き合い、平和や人権について再考するきっかけとなる場所が岐阜にある。それは岐阜県加茂郡八百津町の杉原千畝記念館。イスラエルからの観光客も多く訪れているという。イスラエル軍のガザ地区への激しい攻撃が続く中、遠く離れた日本で第2次大戦史を振り返るイスラエル人たちは何を思うのだろう。直接話を聞いてみたい。イスラエル人団体客を乗せたバスの到着を記念館の前で待った。(共同通信=黒崎寛子) ▽不便なアクセス、それでもイスラエル人が訪れる場所 杉原千畝(1900~1986年)は第2次大戦時、領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスでポーランドからヒトラー率いるナチス・ドイツの迫害を逃げてきた大勢のユダヤ人たちに日本通過ビザを発給した外交官。日本政府の指示に反し、数千人のユダヤ人を救ったといわれる。1985年にはその功績が認められ、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を授与された。当時の外務省の命令に背きながら発行したビザは外務省外交史料館によると計2139枚。これらは「命のビザ」として生存者の子孫に「命の次に大切なもの」と代々受け継がれている。
記念館は、岐阜市内から車で1時間ほどの緑豊かな場所にある。アクセスは不便なものの、海外からの来場者も多い。俳優の唐沢寿明さんが主演した映画「杉原千畝 スギハラチウネ」が公開された2015年度には、国内外からの来場者は5万2千人を超えた。コロナ禍の影響で21年は約8200人に減り、海外から訪れる人もほとんど途絶えたものの、23年度の外国人入館者は約1300人に増え、うち大半をイスラエル人が占めた。 だが、2023年のイスラム組織ハマスによるイスラエル急襲以来、大規模化した軍事衝突を受け、テルアビブ―成田の直行便が運休。ほぼ毎月200人を超えていたイスラエル人来場者はゼロになった。直行便の運航再開もあり、2024年3月には徐々に客足は戻ってきた。 ▽ヘブライ語でも展示品紹介 館内にはビザ(査証)の複製が展示されているほか、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の歴史や、命のビザで日本に来たユダヤ人を迎えた福井県敦賀市の人々のエピソードもパネル展示などで紹介。一階奥の部屋には、杉原千畝が「命のビザ」を書いたリトアニア日本領事館執務室が再現されている。