IS支配はまだ終わらない? モスルに残る3年間の傷痕
“ISの未亡人”迫害を恐れ
モスル郊外のアル・サラミーヤ難民キャンプで、レイラという名の母とその子どもたちに会った。このキャンプは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によって今年5月後半に建てられた。モスル奪還作戦による戦闘が激しくなるにつれ、街を離れる住民が急増したためだ。話を聞くと夫はISに参加し、モスルに残ったという。旧市街地にイラク陸軍が迫った時、夫家族に街から脱出せよと告げた。しかし自分は残って戦うことを決意した。 それ以来、2か月以上も連絡が取れておらず、生きているか死んでいるかも分からない。レイラは涙を流して訴える。「もしかしたら街を脱出しているかもしれない。今はただ夫に戻って来てほしい」。幼い子供4人を抱えた彼女に収入源はない。家も夫も失った彼女と子供たちはこの先どう生きていくのだろうか。 イラク各地では、家族や親族にISメンバーがいた者に対する行動がエスカートしている。家が放火される。村や難民キャンプを追われる。殺害予告を受ける。ちゃんとした調査もなしに、ISと関わりがあるといううわさだけでされ、170組以上の家族が「ISキャンプ」と名付けられた劣悪な環境のキャンプに送られたこともあった。日中の気温が50度を超える暑さの中、弱った子供や女性がキャンプで亡くなったという。 彼女は、夫の素性を隠したまま、周りから迫害されることを恐れながら、この先生きていかなければならないのだろう。
キリスト教徒の街
モスルから南東30キロほどのところに、ハムダニヤというクリスチャンの街がある。この街もISとその奪還作戦による戦禍に巻き込まれた。この街はクルド人自治区にも近い。 街の入り口には25メートルはあろうかという大きな十字架が建てられ、あちこちに教会がある。キリスト教徒なのでお酒を飲むことができ、街には酒屋もある。そして女性は顔を覆う必要もない。イスラム教の国イラクで、初めてこの街を見て驚いたのを覚えている。 そして当然、この街はISに目をつけられたのである。ISがこの街に迫ったとき、クルド人部隊のペシュメルガが街の防衛にあたっていたが十分な武器がなく、やむなく後退することになった。住人たちは「ペシュメルガはずっとこの街にいて、自分たちを守ってくれる」と信じていたので絶望したという。自分たちを守る手段を持たない住人たちに為す術はなく、街はISの手に落ちた。多くの家に火が放たれ、街はゴーストタウンになった。