「こんなこと許されるの?」調査委員会が認定した「いじめ」は裁判で一転否定、どん底に突き落とされた母親の怒り 命を絶った娘のために闘い続けた11年
目の前で勢いよくシャッターが下ろされたように、視界が真っ暗になった。 説明を受けた医師の医療用手袋は血にまみれていた。「これ以上、体を傷つけることはできません」。「傷つけてもいいから助けてください」。必死に食い下がったが、付き添っていた母から背中をそっとたたかれ、悟った。娘は死んだのだ。 転落したマンションから見つかった娘のリュックは、警察が調べることになった。娘の携帯電話が残されており、一通の未送信メールが保存されていた。 「みんな呪ってやる」 ぽっかりと心に穴が開いたようで、悲嘆に暮れる毎日を過ごした。亡くなった娘には、大学生と同じ中学に通う2人の姉がいた。悲しんでばかりはいられない。2人の前では、これまでと同じ「明るいお母さん」で過ごした。それでも心の空白は埋められず、誰もいない夜中に一人涙を流した。 ▽初めて聞かされた学校での変化。母親は怒り、そして動き出した
市の教育委員会が記者会見を開き、4月中旬、自宅に送られてきた発表資料に目を通していた。読み進めていくと、ある一文に目がとまった。 「3学期から様子がおかしかった」 えっ、何これ?どういうこと? 家ではいつも通りだった。疑問を覚え、学校に問い合わせると、驚くべき事実を知らされた。 「今まで仲良くしていた友達から外されていた」「休み時間は一人でぽつんとしていた」。学校で、つらそうにしている娘の姿が浮かんだ。 娘の最期の日を思い出す。「弁当いらん」。もしあの時、「なんでいらんの?」と聞いてあげれば、娘が死ぬことはなかったのかもしれない。後悔にさいなまれた。 「なぜ生きている時に教えてくれなかった?」。学校への怒りが湧いた。詳しい説明を学校に求めても要領を得ない回答しか返ってこない。いても立ってもいられず、娘と仲が良かった同級生たちに話を聞いて回った。 保護者からの了解を取り付け、一人ずつ丁寧に話を聞いていった。「グループにいるけど会話には入れてなかった」「電話で『もうこんなんいじめやん、死にたい』と相談された」。断片的な情報がつながり、いじめの実態が浮かんできた。