日本武道館騒然! 「ニールセン最強神話」を打ち砕いた〝帝王〟ロブ・カーマンの鉄拳
86年10月9日、日系人のニールセンは新日本プロレスにおける前田日明との異種格闘技戦で日本デビュー。その後も新日本で山田恵一、藤原喜明と闘い、プロレスファンから絶大な支持を得ていた。正直、日本での知名度はカーマンよりはるかに上だった。 しかし、カーマンvsニールセンの夢の対決が実現に至るまではトラブル続きだった。89年5月14日、全日本キックは両者を揃い踏みさせた前哨戦を企画したが、カーマンが右足首の負傷を理由に出場をキャンセル。一方のニールセンはケビン・ローズイヤー(米国)との一戦に挑んだが、いいところなく6ラウンドKOで敗れた。ローズイヤーはガラスのコップをバリバリ食べる奇行で知られ、のちにUFCにも出場したスーパーヘビー級のキックボクサーだった。 さらに、当初カーマンvsニールセンは6月23日に日本武道館で予定されていたが、今度はニールセンが左足首重傷のケガを負ったため、大会は3ヵ月後に延期されることになってしまった。 6月のときは試合直前になってニールセンがカーマンとの対決を嫌がったという噂もあるが、9月の大会は予定通り行なわれた。ニールセンのほうが体が大きいというハンディがあったとはいえ、カーマンはローでニールセンの下半身を徐々に破壊し、2ラウンド左ローで先制のダウンを奪う。最後は3ラウンドに背中を向けたニールセンに右フックをクリーンヒットさせ引導を渡した。 ローズイヤー戦でほころびは見えていたが、異種格闘技戦で積み重ねたニールセンの最強神話が崩れ落ちた瞬間だった。その1ヵ月半後、カーマンはイギリスのプロレスラー、サムソン・ネグロを相手に初めて異種格闘技戦に挑むことになる。 (つづく) 文/布施鋼治