日本武道館騒然! 「ニールセン最強神話」を打ち砕いた〝帝王〟ロブ・カーマンの鉄拳
それから怒濤の9連勝をマークした。90年9月28日に大道塾で一時代を築き上げた〝覇王〟西良典と拳を交わすまで、外国人選手とばかり対戦していたのは、カーマンの実力に見合う実力者が日本国内にいなかったからだろう。 カーマンの長所といえば、何よりも佇まいに華があることだった。この頃、低迷期を迎えていた日本キック界において、強さはもちろん、格闘技ファンを魅了するオーラは必要不可欠だった。カーマンはその輝きをリングに上がるたびに振りまいていた。 ■前田日明との異種格闘技戦で名を上げたニールセン こんなエピソードもある。日本での13戦目となった『格闘技シンポジウム』(92年12月11日・東京武道館)で、当初カーマンの対戦相手は「X」と名前を伏せられていた。 主催者が国内で血眼になって対戦相手を探していたからだ。努力の甲斐あって、ようやく日本人武道家から「対戦してもいい」という者が現れたが、動きなどをテストするととてもカーマンに太刀打ちできるレベルではなかった。そこでカーマンとの再戦を狙っていた、当時大阪の正道会館の寮に住んでいたアダム・ワット(オーストラリア)に白羽の矢を立てたという。 アダム・ワットを返り討ちにした2日後、カーマンは東京でセミナーを行ない、多くの選手が参加した。参加者のお目当てはカーマンの対角線のコンビネーションだった。 右フックを打ったら、左ロー。左ローを打ったら右ストレートという感じで常に対角線を描く連続攻撃で相手を攪乱していく戦法が得意だった。日本ではカーマンが使うことでおなじみとなったが、オランダでは誰もが使うポピュラーな攻撃だった。 以前、ボスジムで、アーネスト・ホーストのコーチで日本ではシュートボクシングの吉鷹弘との激闘で知られるイワン・ヒポリットの練習を見る機会があったが、対角線のコンビネーションによる攻撃をあまりにもスピーディーに連続してやるので、取材ノートへのメモがとても追いつかなかったという苦い思い出がある。第三者の目で追えなければ、視界がもっと狭い対戦相手の目で追えるはずもない。非常に理に叶った攻撃だと納得したものだ。 日本で最も印象に残るカーマンのファイトといえば、89年9月5日、全日本キックが満を辞して日本武道館で開催した初のビッグマッチ『REAL BOUT』で実現したvsドン・中矢・ニールセン(米国)だろう。