マチュピチュと福島県大玉村、世界初の友好都市協定を締結
マチュピチュの村長を務めた野内与吉さんについて語る大玉村職員(9月15日福島県大玉村、中野宏一撮影)
世界遺産として知られるマチュピチュ遺跡があるペルーのマチュピチュ村が、10月26日、福島県大玉村と世界初の「友好都市協定」を結ぶ。マチュピチュ村の開発に尽力した初代・行政最高責任者が大玉村出身の日本人移民だったことが縁で、マチュピチュ村側からの強い要望で実現した。26日(現地時間)には、マチュピチュ遺跡で大玉村村長が出席する調印式が開催される。
東北自動車道「二本松」インターチェンジから車で15分ほど南にゆくと、人口約8600人の大玉村がある。「日本で最も美しい村」連合にも加盟する、安達太良山のふもとに広がる棚田状の水田が美しい村だ。その大玉村に昨年4月、ペルーのマチュピチュ村長から「友好都市協定」を結ばないかという文書が届いた。
マチュピチュの村長になった大玉村出身の男性
マチュピチュが世界遺産となり世界的に有名な観光地となる前、ひとりの日本人男性が、大玉村からペルーに渡りマチュピチュ村に定住し、現地の村長になった。その人物の名は、野内与吉さん(1895-1969)。大玉村役場政策推進課の神野藤浩和さんによると、野内与吉さんは1917年、21歳のとき移民としてペルーに渡った。ブラジルやボリビアなどを経て、1923年ペルー国鉄に勤めたという。 その後、マチュピチュに入り、1939年にマチュピチュ地区の行政最高責任者になったという。1941年にマチュピチュ村が設立された後は、1948年から村長を務めた。1968年に51年ぶりに一時帰国したが、1969年にペルーで没した。野内さんは、村に発電所を作り電気を引くなどインフラ整備に務め、ホテル事業を営むなど村の産業育成にも力を尽くし、地域の発展に功績を残した。村まで鉄道を引いたとの話も残っているという。
調印式はマチュピチュ遺跡で
2012年に大玉村の野内さんの親族がマチュピチュ村を訪れたことから大玉村との交流が始まり、今回の友好都市協定締結に至った。26日の友好都市協定締結式典には、大玉村から押山利一村長を含めた議員・職員ら6人と、自費でマチュピチュに渡る大玉村民30人が出席する。26日はマチュピチュ村の創立記念日で、村の最も大切な日だという。式典は「マチュピチュ遺跡」の中で行われ、駐ペルー日本大使も出席するほか、インカの司祭による大地の神への儀式も行われる。