エネルギー小国日本の選択(17) ── 変わるエネルギー業界の今
東日本大震災から6年半余り。被災の風化も懸念される中、再稼働が進み、原発推進が日本の方針として既成事実になりつつある。 あの原発事故はなんであったろうか。今もなお5万人を超す避難者がいて、甲状腺がんの恐怖に苦しむ不特定多数の低線量被ばく者がいる。 「原発に頼らなくてもいいエネルギー構成は実現できないのか」 「国として原発をやめたら、海外から足元を見られる。産業の競争力、国力が落ちるかもしれない」 「再生可能エネルギーの導入拡大には異論なかろう」 「電気自動車(EV)の普及が進めば、ガソリンを使わなくてもよくなるが、電力が足りなくなりそうだ」 「やはり原発が必要ではないか」 「いや、原発は今すぐやめるべきだ」 ── 議論が尽きないエネルギーの「当面」の将来像が今、決められつつある。改定作業が進むエネルギー基本計画、その中で政府が自認する「資源小国の我が国」、日本はどこへ向かうべきなのか。 あらためて、エネルギー業界の置かれている現状を確認する。
割れる世論
柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)は904件。何の数字かお分かりだろうか。 再稼働に向けた事実上の合格に当たる審査書案に対するパブリックコメント(意見公募)の件数だ。2014年、新規制基準に初めて合格した九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)の時は1万7819件だった。 福島第1原発事故を起こした東京電力にとって柏崎刈羽は最初の合格機で、パブリックコメントは相当数に上るだろうと注目されていた。それだけに、904件という少なさは関係者を驚かせた。2015年に3000件以上の意見があった関西電力高浜原発3、4号機(福井県)、四国電力伊方原発3号機(愛媛県)よりも低く、原子力に対する関心の薄れすら窺わせる結果だった。 「原発やめろ、原発やめろ」 ── 。経済産業省の前でそう気勢を上げていた「脱原発テント」の団体関係者も一頃に比べると、鳴りを潜めている。原発事故後、経産省の入口近くにテントを張って陣取り、時に推進派と揉めることもあった。2016年8月、テントは違法な占拠だとして東京地裁に強制撤去された。今も反原発の札を持った反対派が、テントのあった近くで主張を続けるが、見向きする経産省職員らは少ない。 株主総会の光景も変わりつつある。震災直後の2011年は、反原発の声が圧倒的だったが、近年は原発推進の応援に駆け付ける団体も一定数見られる。2017年の東電ホールディングスの株主総会では、反対派と推進派が、会場へ続く道を挟んで向かい合うような形で、それぞれの主張が書かれたビラを配った。時に感情的に、「向こうの言っていることは嘘ですよ」と互いを煽りながら ── 。 震災後、原発再稼働に反対する訴訟は相次いでいる。運転中の原発を止めた事例もあった。2016年3月、大津地裁が関電の高浜3、4号機の運転差し止め仮処分を下した。1月に動き出したばかりの3号機が止まった。原告らは「司法は生きていた」と歓喜した。 関電をはじめ電力側は、同様の事例が続くことを懸念し、焦った。関電は承服できないとして、抗告審で争った。一連の訴訟に関する記者会見では、長机に膨大な裁判資料を並べて「きちんと説明を尽くしている」と安全性と主張の正当性を訴えた。関西経済連合会の角和夫副会長(阪急阪神ホールディングス会長)は司法判断に対し、「憤りを越えて怒りを覚える。なぜ一地裁の裁判官によって、国のエネルギー政策に支障を来すことが起こるのか」と述べ、関電を擁護さえした。 高浜3、4号機は結局、仮処分決定が覆り、2017年に再稼働した。全国の原発に対し、運転反対を求める訴訟が他にも多数係争中だが、ともあれ現在5基の原発が動いている。来年も関電や九州電力の原発再稼働が見込まれる。「原発の安全対策に終わりはない」と強調する歴代の電事連会長の言葉通り、不断の努力が求められている。