競馬を陰で支える馬運車を潜入取材! 「競走馬ファースト」の秘訣に迫る(前編)
競馬にはさまざまな人やモノが関わっている。競馬の主役である競走馬を開催競馬場まで運ぶ馬運車(ばうんしゃ)もそのひとつ。その馬運車を、競走馬輸送会社、日本馬匹(ばひつ)輸送自動車の協力のもと、同社の美浦営業所と、馬運車を製造する東京特殊車体の工場に潜入。そこには「競走馬ファースト」のさまざまな工夫が施されていた。(取材・構成・写真 吉田桜至郎) 【写真】馬室天井に設置されている小型カメラは運転席のモニターと繋がっている トレーニング・センターで調教された競走馬がレースに出走する際、トレセンから競馬場、競馬場からトレセンの行き帰りに乗るのが馬運車。日本馬匹は、美浦トレーニング・センターを拠点に、各競馬場へ競走馬を輸送する業務がメインだ。 例えば、茨城県にある美浦トレセンから札幌競馬場までの輸送距離は約1100キロで、輸送時間は約22時間も要する。その間、競走馬は馬運車から出ることはない。動物だけに輸送中でもカイバを食べるし排泄(はいせつ)もする。走行中はどんなに慎重に運転しても車体が揺れることがある。北海道へ渡るときはフェリーに乗って船に揺られながら移動する。馬運車の中にいる競走馬のストレスをいかに軽減させるか――。そのためにどんな工夫が施されているのか。それを探るのが今回の取材のテーマだった。 まずは美浦トレセンに隣接する日本馬匹の営業所で、実際に使用している現役の馬運車を隅々まで見ながら同社業務部長の藤井徹さんを取材。その後、東京同社の馬運車をオーダーメードで製造している東京都八王子市にある東京特殊車体の工場へ向かった。 その前に馬運車の歴史を説明しよう。 車での競走馬輸送が一般的になったのは戦後になってからだった。それまでは長距離なら鉄道(貨車)で輸送し、短距離なら人が馬を引いて移動していた。貨車輸送には相当な時間がかかるし、貨車も動物の輸送に適当ではないこともあり、道中で体調を崩したり故障したりする馬が多かったそうだ。 戦前東京帝大馬術部主将を務め、関東学生リーグで2回優勝し、戦争中は騎兵将校などで従軍した青山幸高氏が、数台の戦車を載せて道路を走る進駐軍のトレーラーを見て競走馬輸送事業を始めることを思いつき、当時の競馬主催者日本競馬会からの出資を得て1947(昭和22)年に日本馬匹を設立したという。1954(昭和29)年の日本中央競馬会設立後その子会社となった日本馬匹は以後一貫して美浦発着の競走馬輸送を担ってきた。 時代の移り変わりとともに馬運車はその姿を変えてきた。昭和20年代は馬を載せる荷台部分が独立したトレーラータイプだったが、その後、一体化したボンネットトラックやバスを改装したタイプを経て大型の高速バスの見た目に改造したものが長く主流となった。ここ10年はトラックタイプと呼ばれる大型トラックを、見た目を変えず馬運車の仕様に改造したものとなった。