世界の刑務所人口の25パーセントを収監――200万人以上もの人間を塀の中に押し込める、アメリカの司法制度が抱える闇とは【〈ノンフィクション新刊〉よろず帳】
言葉のすり替え
師岡らは〈米軍出ていけ〉と叫ぶ人々が、同時に〈人殺し〉【12】や〈お前らは犬だから言葉は分からない〉【13】とも叫んでいることを知りながら、知らぬふりを決め込む。〈ゴキブリ朝鮮人〉と〈お前らは犬〉。ゴキブリにも犬にも礼を失した愚かな比喩だが、双方の愚かさと醜さは、これなら釣り合いがとれるかもしれない。 ふたつめの不誠実さは、この同じ穴のむじなの論点をズラし、〈お前らは犬〉だけをなかったことにする手口を指す。似た者同士だと双方を非難する者に対して、師岡らは「日本における米兵や機動隊員はマイノリティではないので、彼らへの非難はヘイト・スピーチには当たらない」【14】と主張するのだ。 これは、言葉のすり替えとしか思えない。そもそも、両者を非難する者たちが使っている「ヘイト(・スピーチ)」は、法律用語としてのヘイト・スピーチを指すのではなく、一般表現としての「憎悪に基づく言葉/尊厳を傷つける醜い言葉」を意味している。その道徳的問いかけに対して、師岡らは法的解釈のみを回答しているからだ。 誤解ではなくすり替えという形で、師岡らはヘイト(・スピーチ)という言葉に付随する「一般表現としての側面」を捨象し、ヘイト(・スピーチ)という言葉を「法律用語としてのヘイト・スピーチ」だけに限定し、特権化しようと試みている。その狙いが、ヘイト(・スピーチ)という言語表現の独占にあるとしか考えられない実態に、評者は危機感を覚える。
権力を欲するのであれば
司法に携わる者は言うだろう。評者の言い分もまた、単なる「道徳的非難」に過ぎない、と。 そんなときは『なぜ、無実の人が罪を認め、犯罪者が罰を免れるのか』の問いかけに立ち戻って考えていただきたい。司法は要件を絞り込み、社会を統治するシステムを効率化するためだけに存在しているのではない。正しさを担保するためにこそ在る。 言論を用いた憎悪の氾濫から、法の権力でもって片一方の者だけを免責するのは、差別からの救済ではなく、検閲だ。評者は、人間社会を構成する根本的価値として「表現の自由」を尊重する立場から、たとえ憎悪に基づく恥ずべき言説であっても、原則として法的規制には反対の立場をとる【15】。 もしも司法の専門家たちが「正義と公正を実現するための権力」を欲するのであれば、「法の許す範囲」と「道徳の許す範囲」をいかにして近接させられるか、その不断の議論を続けることだけが、付託の説得力を醸成するだろう。一体化ではなく、法と道徳の同衾こそ、およその国民が司法に期待する役回りなのだから。 文/藤野眞功 【1】訳者は、川崎友巳+佐藤由梨+堀田周吾+宮木康博+安井哲章。 【2】『なぜ、無実の人が~』より引用。 【3】『なぜ、無実の人が~』を参照。司法取引の数字は、1998年から2018年までのもの。〈〉は引用。 【4】『なぜ、無実の人が~』より引用。 【5】『なぜ、無実の人が~』より引用。 【6】『なぜ、無実の人が~』を参照。 【7】『なぜ、無実の人が~』より引用。 【8】『なぜ、無実の人が~』を参照。 【9】『なぜ、無実の人が~』より引用。 【10】師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)より引用。 【11】「米軍出ていけ」はヘイトスピーチか―沖縄でのヘイトスピーチ規制条例制定を考える(安田菜津紀) 【12】2016年、米軍基地と契約する民間企業の社員である元米兵の男(妻は日本人)が、沖縄県うるま市の女性を強姦・殺害した事件を受けておこなわれたデモにおける言語表現。当該の元米兵は日本の司法によって裁かれ、無期懲役の判決が確定した。 【13】石垣市議会『高江現場における不穏当発言に抗議し警備体制の改善を求める意見書』より引用。当該の現場(ヘリパット建設予定地)では、機動隊員がデモ隊に発した「土人」という言語表現だけがクローズアップされた。 【14】前掲『ヘイト・スピーチとは何か』を参照。 【15】言語表現のみならず、絵画や楽曲による表現についても評者は同様の立場である。また、ここで示す表現とは憎悪に基づくものだけでなく、暴力や性表現等の万象を含む。