「なんで笑ってるの?」…【池袋暴走事故】の被害者遺族、松永拓也さんが「笑うな」と批判されても笑顔を見せる「深いワケ」
事故後に感じる「小さな幸せ」
「もちろん、事故の後しばらくはつらい日々を送っていました。僕はもともと、月に缶1本くらいしかお酒を飲まない人間だったのですが、つらさを紛らすため、酒量は増えました。そのように、事故によって受けた良くない影響も確かにあります。それでも、最近は日常の小さな幸せもちゃんと感じられるようになってきたんです」 松永さんの言う「小さな幸せ」は、彼の普段の生活スタイル同様に、我々が感じるそれと全く変わらないものだった。 「先ほどお風呂が好きと言いましたが、僕は平気で湯船に1時間くらい浸かっちゃう人間なんです。家でボーっとお風呂に入っている時とかに『あ、なんか今幸せだな』と感じることが多いです。だから、被害者遺族の部分以外は、普通の人と何も変わらないんですよ」
「なんで笑ってるの?」心無い言葉も…
「でも、僕に対して幸せのイメージを持たない人はやはり多いです。以前、『一生笑うことないですよね』と言われたことがあります。その人に悪意はなかったようですが、その言葉に動揺したのを覚えています」 「遺族は不幸」という世間一般の遺族像自体が、遺族を苦しめてしまう場合もあるということだ。 「あとは、僕が笑うと怒る人もいます。所属している『あいの会』のホームページに、僕が笑っている写真が掲載された時に『なんで笑ってるんですか?』という意見が来たことがあるんです。『あんなに悲しい経験をされたのに、笑えるのはおかしいと思います』といった理屈だったようです。悲しいけど、これが現実なんです」 クレームに近い意見としか思えないが、驚くことにこうした内容の言葉が松永さんのもとに届く機会は決して少なくないという。
あえて笑う姿を見せる理由
不幸なイメージを持たれ、笑うと批判が届く。それでも、松永さんはここ1年ほど「あえて笑う姿」を見せるようにしていると話す。そこには、世間とのギャップを埋めたいとの強い思いがあった。 「僕の活動の根源は、真菜と莉子と約束した、2人の死を無駄にしないとの思いです。だから、事故後に記者会見をして、世間に対して、泣き、そして悲しんでいる姿を見てもらいました。それは、交通事故で遺族はこれだけ悲しい思いをするということをみなさまに知っていただくためでした。 でも、最近はそこに矛盾を感じる機会も増えてきていて。なぜなら、僕は自分を不幸な人間だとは思っていないからです。確かに、不幸な出来事には遭遇しました。でも、決して不幸な人生ではない。 まず、事故で苦しい時に『あいの会』というかけがえのない存在と出会うことができ、僕や妻の親族も今の活動を本当に応援してくれている。また、多くの犯罪被害者支援に繋がることもできました。僕は本当に恵まれているんです」 「決して不幸ではない」。しかし、事故の再発防止活動で見せた涙により、自ら不幸な遺族像を作ってしまったのではないか。その矛盾を払拭すべく、松永さんは批判されるのを覚悟で「笑っている」のだ。 「今回、僕が『自分は不幸じゃない』と発言し、それが世に出るのはすごくリスクでもあります。 この発言が世に出ることによって、『本当はあまり悲しくなかったんじゃないの?』とか『2人を愛していなかったんだろ』みたいな言葉が出てくるからです。それは経験上分かります。そうした声を聞くのははっきり言ってとてもつらいです。 でも、遺族が笑ってもいいじゃないですか。幸せな姿を見せてもいいじゃないですか。僕はそう考えています。“被害者遺族のかたち”にも不幸以外の多様性があってもいい。それを伝える発信も今後はしていきたいです」
「この前、歯医者に行ったら…」
「この前、歯医者に行ったら莉子と同い年くらいの子どもがいて。久しぶりにグッときちゃいましたね」 取材の最後、松永さんはそんなエピソードを話してくれた。 いくら月日が経とうが、最愛の家族を失った事実と悲しみが消滅する日はない。それでも、被害者遺族として、そして1人の人間として、松永さんは日々を力強く生きている。 表現が適切かは分からない。ただ、彼が今後どのような生き方をしていくのかがとても楽しみだ。取材後、記者はそう思った。 【さらに読む】『「再婚は、してもしなくても…」【池袋暴走事故】の被害者遺族、松永拓也さんが語る「これまでの5年間」と「今後の生き方」』
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