世界を変えた天才学者はどうしようもない「カンニング犯」だった!?…構造主義を発見した男の「意外すぎる過去」
「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。 【画像】なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか ※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
風変わりな人類学者の体験記
構造主義の出発点は、彼が1955年に出版した『悲しき熱帯』という著作です。これはレヴィ=ストロースが1930年代末にブラジルの奥地を旅してから20年近く経って世に出した本です。『悲しき熱帯』は、風変わりな人類学者が20年も前の体験を綴った、不思議な旅行記だったのです。その年には、彼はもう40代後半になっていました。レヴィ=ストロースは決して若くして名声を得たわけではありませんでした。 その本については次節で詳しく見るとして、まずはレヴィ=ストロースの生い立ちから紹介しましょう。 レヴィ=ストロースは1908年、画家だった父の仕事の関係で、両親が滞在していたベルギーのブリュッセルで生まれました。そして彼の一家は翌1909年にフランスのパリに戻ります。 レヴィ=ストロースの幼い頃の話に、こんなエピソードがあります。彼は3歳の時、ベビーカーの中から「パン屋(boulanger)」と「肉屋(boucher)」の看板を見て、両方に「bou」という文字が隠されているのを発見します。そして「この2つは同じことを意味しているんだ!」と大きな声で叫んだというのです。自分は生まれながらにして、普遍的な要素を見つけ出す「構造主義者」だったのかもしれないと、後に回想しています。 レヴィ=ストロースはユダヤ教徒の家に生まれ、母方の祖父はユダヤ教の宗教的指導者(ラビ)でした。そんなレヴィ=ストロースにとって、最初の受難は公立小中学校に通った時のことでした。ユダヤ人であるという理由だけで不当な扱いを受け、ことあるごとに拳骨が飛んできたといいます。レヴィ=ストロースはこうした苦い経験から、あらゆる信仰から距離を置くようになったといいます。