大東大ラグビー部のレジェンド・ラトゥの息子がデビュー
この列島の大学ラグビー界には外国人枠があり、公式戦のピッチ上に立てる外国籍選手の数は「2」が上限だ。すでに大東大には、上級生のトンガ人選手が複数いた。幼少期を日本で過ごした「ルカ」の帰化は、入部に際する必須条件のようでもあった。「若干、悩みましたね。自分、日本人になるのかなって。ハハハハ!」。 入学前の葛藤は。全てを肯定的に捉える朗らかな口調で、本人はかように振り返るのだった。結局、7月26日の官報での通知を受け、日本人となった。「日本人には見えないですけど、悪くないかなって。チームのためにもプラスになるので、それはそれでいいこと。大学もサポートしてくれたんで、スムーズに行けたと思います」。 国内の競技人気が今以上に高かった父の現役時代、大東大は輝いていた。芝生のようなジャージィの色、当時は先駆け的存在だったトンガ人留学生の活躍から、「トンガ旋風」「モスグリーン旋風」と謳われた。大学選手権を制した年は、成人の日だった1月15日の日本選手権に挑んだ。スタンドが晴れ着で染まった東京の国立競技場で、社会人王者と激突。2014年5月24日の朝日新聞夕刊によれば、88年度の「6万1105人」という公式入場者数は、今はなき同会場の歴代10位にランクインしている。この時の大東大は後に7連覇を果たす神戸製鋼に17―46と屈するも、あの頃の「モスグリーン旋風」は、確かな記録を残していたのだ。 そして21世紀、大東大はかつての気風を取り戻しつつある。昨季、黄金期を率いた鏡保幸氏が特別顧問となり、パナソニックのストレングス&フィットネスコーチだった青柳青柳勝彦監督が就任。大型ランナーが次々と駆け込む往時に似たスタイルで、リーグ戦1部では8チーム中3位に入った。一昨季までは、過去5年間で下部との入替戦に3度出場していたのだ。低迷脱出への兆しを覗かせたといえる。本格的な捲土重来を期す今度のシーズンは、全国4強以上を目標とする。リーグ戦の上位5チームが出場できる大学選手権で、16チームが4組に分かれて行うセカンドステージのプールを1位通過したいのだ。 近年はV5の帝京大など、関東大学対抗戦Aの面々が優勢だ。現実は甘くない。ただ夏合宿中の8月17日、現代の「モスグリーン」は昨季全国2位の早大を練習試合で54―33で下した。相手が猛練習と新戦術のテストに明け暮れていた時期の練習試合とはいえ、成功体験は、宝だ。滞在先の菅平高原での選手の様子を、青柳監督は「当たり負けなかったと、手応えを掴んでいる」と見た。