大東大ラグビー部のレジェンド・ラトゥの息子がデビュー
大東大ラグビー部に「ラトゥ2世」が加わった。クロンフェルド・ウィリアム・クルーガー・ラトゥである。父はシナリ・ラトゥ。近代日本ラグビー史において、伝説的な立ち位置の人だ。この国にトンガ人留学生が定着する前に来日し、フランカーまたはナンバーエイトとして迫力ある突破を連発。ワールドカップに3度出場するなど、日本代表32キャップ(国同士の真剣勝負への出場数)を獲得した。現在は1986、88年度に学生王者となった大東大でアドバイザーを務めている。 今度の入学で「2世」とか「親子鷹」と書かれた息子は、元ニュージーランド代表のジョシュ・クロンフェルド、元南アフリカ代表のルーベン・クルーガー、父のミドルネームのウィリアムに由来する長い名を持つ。太陽の笑みで上級生らとフラットな立ち位置で接し、愛称「ルカ」を定着させつつある。グラウンドの上では身長183センチ、体重88キロの万能型バックスとして定位置も確保。9月14日、所属する関東大学リーグ戦1部の開幕戦に臨む。 群馬県太田市出身で、地元の公立小学校に通った。当時の遊び場のひとつは、埼玉県東松山市の大東大の合宿所だった。三洋電機や日本代表でもプレーした父が監督だった頃である。少年は、部員のお兄さん方にからかわれては「パパに言うぞ」と叫んでいたものだ。中学からは約6年間、日本からニュージーランドへ留学する。南島のティマル・ボーイズという学校で、親元を離れるという体験とラグビーの「スキル全般」を積み重ねてきた。11月の卒業後は「何もしないで家にいるのはいやだったので」と旧三洋電機、パナソニックの練習に参加。シーズンの只中にあった太田の本拠地グラウンドで「控えチーム」に入り、他と遜色のない動きをしていた。「ラトゥ2世、大東大入りへ」との報せを瞬く間に広げたのだった。 「親の母校なんで、それも理由のひとつですね。あとは、英語の勉強ができるということ。ラグビーのキャリアが終わったら、コーチをしながらトランスレーターの仕事をしてみたいな、と」。大東大の外国語学部に入った理由をこう語った「ルカ」は、帰国に際し大きな決断を下している。日本国籍の取得だ。