「辞めようと思ったことは…」イタリア代表、カラフィオーリの“軌跡”。EUROの主役は、絶望の淵から這い上がった【コラム】
現在ドイツで開催されているUEFAユーロ2024(EURO2024)。そんな4年に一度の大舞台で、一人の若者が輝きを放っている。それがイタリア代表DFリッカルド・カラフィオーリだ。2023/24シーズンのボローニャで本格ブレイクし、世界が注目する大会でも輝きを放つなど、まさにノリに乗っているが、そのキャリアのスタートは、決して簡単なものではなかった。(文:佐藤徳和) 【決勝トーナメント表】サッカー ユーロ2024(EURO2024)
●「ローマのバンディエラとなると確信している」 サン・ピエトロ大聖堂の裏手に広がるローマの13番目の行政区域、アウレリオ地区。バチカン市国に聳えるカトリック教会の総本山からわずかな距離に位置しながら、目立った観光名所はなく、観光客が足を踏み入れることはほとんどない。しかし、ピオ11世の名を冠したグラウンドからは、サン・ピエトロのクーポラが眼前に迫る。観光客が見ることのできない壮大な景色だ。 ここは、UEFAユーロ2024(EURO2024)で、一躍脚光を浴びているイタリア代表DFリッカルド・カラフィオーリが初めて所属したペトリアーナ・カルチョが活動するグラウンド。カラフィオーリがローマで出場機会を増やしていた頃、ペトリアーナ・カルチョのステーファノ・セッティミーニ会長は、幼少期をこう回想していた。 「子どもにとって、とても大切な育成の期間をこのクラブで過ごした。ローマで重要な『ガレアッツィ・トーナメント』でも優勝したんだ。リッカルドだけでなく、彼を支え、育てた彼の家族も称えなければならない。家族のおかげで、彼はプロになるまでの間、道を見失うことなく成長できた」。 カラフィオーリ一家が暮らすアウレリオ地区から、ローマのトレーニングセンター、トリゴーリアまでは、往復で約50キロ。両親は、息子のために、日々車で送り迎えをし、犠牲を厭わなかった。 セッティミーニは「9歳になってすぐに、ローマはリッカルドの獲得を決めた。他にも前から複数のクラブが、彼を注目していたが、ローマが先手を打った。育成年代技術顧問のブルーノ・コンティは、すでに彼の才能を理解し、下部組織で育てることを決意したんだ」と話す。さらに「私はリッカルドがやがてイタリア代表になり、そして、ローマのバンディエラとなると確信している。もしかすると、カピターノになるかもしれないね」と続けた。アッズーリの一員になることは的中させたが、多くの子どもたちが憧れる地元のビッグクラブ、ローマでの活躍を言い当てることは、残念ながら叶わなかった。 カラフィオーリは、2010年からローマの下部組織に所属。U15からすべての年代のイタリア代表にも名を連ねるエリートだった。誰もが、リッカルドの明るい未来を思い描いていた。けれども、16歳の時に、選手生命に関わる大けがに見舞われる。 ●絶望的な大怪我。それでも「強くなった」 それは、プロ契約を締結してから2ヶ月が過ぎた2018年10月2日のことだった。UEFAユースリーグの一戦、チェコのヴィクトリア・プルゼニとの試合で、左ひざの靭帯の全てと関節包を断裂し、半月板も骨折するという、交通事故に遭遇したような重傷を負った。相手選手との激しい接触で、膝から下が逆に曲がるほどの痛ましいアクシデントだった。 カラフィオーリは、アメリカのピッツバーグで、フレディー・フー医師の執刀を受けた。ズラタン・イブラヒモビッチのひざの手術も担当した世界的名医だ。 「若かったから、事態をあまり深刻に受け止めることもなく、ことの重大さも理解していなかった。辞めようと思ったことはないし、それどころか、早くピッチに戻ってやろうと思っていたよ。『けがをする前よりも強くなって戻る』というフレーズは、けがをした時によく言われる常套句だけれど、自分はそれを身をもって体験し、実際にけがをする前よりも強くなったんだ」と、重傷を乗り越えられたのは、若さだったと強調するが、精神的にもタフであったことを伺わせるエピソードだ。 重傷に打ち勝ったカラフィオーリは、2019年9月16日のプリマベーラの一戦、キエーボ戦で約1年ぶりの復帰を果たすと、その1ヶ月後には、パウロ・フォンセカ監督が指揮していたトップチームからの初招集を受ける。そして、19/20シーズンの最終戦、ユベントス戦で、ついにセリエAデビューのチャンスを手に入れる。それは、コロナ禍における無観客での一戦だった。 左サイドバックとして先発出場し、1-1で迎えた40分には、エリア内で絶妙なトラップからPKを誘発するなど、そのシーズンの王者を相手から、3-1で勝利を収めることに貢献した。その後も、順調に成長し、翌シーズンには、セリエAで3試合に出場。UEFAヨーロッパリーグ(EL)には5試合に出場し、ヤング・ボーイズ戦では、強烈なミドルを突き刺して、公式戦初ゴールをマークした。 ●カラフィオーリの価値を見誤った 20/21シーズンも、1月14日までにセリエAの6試合に出場していたが、ジョゼ・モウリーニョ監督に見限られ、冬の移籍市場で、ジェノアへとレンタル移籍。そして、シーズン後に、転機が訪れる。バーゼルへの完全移籍だ。当時は、フロジノーネやクレモネーゼからの関心も噂されていたが、最終的にスイスの強豪クラブへの移籍が決まった。 ボローニャでの飛躍により、23/24シーズン終了後には、3000万ユーロ(約48億円)の価値がついたと言われていた。さらに、ユーロ2024でのセンセーショナルな活躍で、評価は一層高まり、移籍には4000万ユーロ(約64億円)以上が必要とされている。しかし、バーゼルからローマに支払われた移籍金は、たったの150万ユーロ(約2億4000万円)。将来的に移籍が成立した場合、さらに移籍金の40パーセントが支払われるオプションもついていたが、それでも目を疑うほどの少額であることには変わりない。 それは、今からわずか2年前のことだった。当時のローマのゼネラルマネージャー、チアゴ・ピントも、フィジカルの強さと左足の精度の高さを持つカラフィオーリをある程度は評価していたが、サッカー選手の生命線であるひざに大けがを負っていたことで、コンディションに不安があるとみなしていた。その上、ローマは、その頃、2000万ユーロ(約32億円)ものキャピタルゲインを得る必要があったため、こうして、カラフィオーリはその一駒として売却された。 カラフィオーリの価値を誤ったのはローマだけではない、インテルもミランも、そして、今のカラフィオーリの獲得を目指すユベントスも、その時は才能に惚れ込むことはなかったのだ。それは、若手の起用を渋るイタリア全体の問題でもある。 ●ローマは“宝石”を失った ユーロ2024に招集されたアッズーリでは、20歳のジョルジョ・スカルヴィーニが前十字じん帯断裂の重傷で離脱したことにより、2002年5月19日生まれのカラフィオーリが、最年少選出となった。大会2戦目で、イタリア代表を圧倒したスペイン代表を例に挙げると、カラフィオーリよりも若い選手が4人もいる。バルセロナの新星、ラミン・ヤマルに至っては、16歳の若さだ。 イタリア・サッカー連盟(FIGC)は近年、ユース年代の強化に取り組み、2023年にU19が、今年はU17がそれぞれ欧州王者に輝いている。イタリアの育成は今や欧州のトップクラスだ。しかし、残念ながら、セリエAのクラブを見ると、イタリア人の若い有望な選手は極めて少ない。欧州サッカーの研究機関として知られるCIESの最新のレポートによると、欧州5大リーグの中で、最も自国の選手が少なく、イタリア国内で育った選手がセリエAでプレーした数は、38.7パーセントに過ぎないのだ。 カラフィオーリの場合は、前例のないような大けがに見舞われたこともあって、"傷物"とみなされたこともあるのだろう。また、ジェノアでは、負傷も重なり、出場機会は3試合に留まっていた。だが、それを差し引いても、150万ユーロという移籍金はあまりにも僅少な金額だった。ローマはカラフィオーリの評価を完全に見誤ってしまった。ダニエレ・デ・ロッシ監督は「放出したことは、いまだに消化できない」とうなだれる。"宝石"を失ったロマニスタたちの無念さは計り知れない。 バーセルでは、スイス・スーパーリーグに26試合に出場した実績を作り、名伯楽、ジョバンニ・サルトーリのお眼鏡にかなう。ボローニャへの移籍だ。新天地では、ローマ時代とは異なるセンターバックでプレーすることとなったが、実は、バーセル時代にもシーズン半ば以降、本来の主戦場だった左サイドバックから、CBへとポジションを移してプレーしていた。スイス人のアレクサンダー・フライ監督が2023年2月に解任されると、後任のドイツ人指揮官ハイコ・フォーゲルは、カラフィオーリを3バックの左の一角で起用した。 ここでの経験が、ボローニャでの4バックでも活かされることとなった。 ●ボローニャでの飛躍。イタリア代表での輝き さらに、U21イタリア代表では、守備的MFで起用され、マルチな才能を見せた。ボローニャのマルコ・ディバイオSD(スポーツディクレター)は、こう評価する。 「サルトーリTD(テクニカルディレクター)が、昨年夏までの2年間、カラフィオーリの動きを追い、獲得に至った。2つのポジションをとても上手くこなしている。守備をしっかりとやりながらも攻撃でも貢献する、まさに、現代DFのプロトタイプと言える」。 23/24シーズン、カラフィオーリの評価はとどまることを知らなかった。チアゴ・モッタ監督に積極起用され、セリエAの30試合に出場。誰も想像し得なかったUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)出場権の獲得に尽力した。 イタリア代表でも、ルチアーノ・スパレッティ監督に重宝され、6月4日に行われたトルコとのテストマッチで85分から途中出場して、A代表デビューを飾ると、同6日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦ではフル出場。ユーロ2024では、3試合にフル出場と大車輪の活躍を見せている。 0-1と点差以上の敗北を喫したスペイン戦後、『ガッゼッタ・デッロ・スポルト』紙は、「スペイン代表として唯一プレーできるイタリア人フィールドプレーヤー」と評し、オウンゴールによる決勝ゴールを献上したにもかかわらず、そのパス能力の高さを称賛した。後方からの組み立てに長け、FWに入れる楔のパスは、寸分の狂いもない。 そして、決勝トーナメント進出を決めたクロアチア代表戦では、値千金の同点弾を突き刺したマッティア・ザッカーニのゴールをお膳立て。最終ラインから、ドリブルで駆け上がり、ダビデ・フラッテージとのワンツーから再びボールを得ると、最後は、ザッカーニにラストパス。これが、アッズーリを決勝トーナメントに導く、値千金のパスとなった。累積警告により決勝トーナメント1回戦のスイス代表戦を欠場するのは、残念でならない。 左SBをこなし、CBも担うことから、あのレジェンド、パオロ・マルディーニを想起させる。ユーロ2024では、初戦のアルバニア戦で、マルディーニに次ぐ若さ、22歳と27日での出場を記録。イタリア代表として、史上2番目の若さでの大会出場となった。当然、19歳と350日でユーロの舞台に立ったマルディーニには、まだ遠く及ばないが、この若者が、イタリアが輩出した数多くの名ディフェンダーのDNAを受け継ぐ期待の星であることは間違いない。 (文:佐藤徳和)
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