「迅速、安全、確実を胸に」 城東署・菅原浩消防司令補 都民の消防官 横顔②
第77回都民の消防官表彰式が11月27日に行われるのを前に、受章が決まった5氏の経歴などを紹介する。 学生時代に打ち込んだアメリカンフットボールで鍛えた身体を生かし、就職活動の時期に消防官を志した。「人の助けになる仕事をしたい」。その一心で、平成4年に東京消防庁に入庁した。 前年に救急救命士法が制定。最初に配属された大井消防署で、先輩の働く姿を間近で見て興味が湧いた。救急救命士認定に向け、日夜消防官としての勤務をしながら、時間を見つけては勉強に励む、せわしない日々を送った。たゆまぬ努力の結果、21年に晴れて救急救命士の認定を受けたが、悲惨な事故現場に動揺することもあった。 玉川署で消防士長だったとき、首都高3号渋谷線での車約10台を巻き込む玉突き事故に臨場。先頭車両が運転操作を誤り9人が骨盤や大腿骨骨折のけがを負う大事故になったが、冷静に処置を行うよう努め、迅速に病院へ搬送した。 日ごろ、「人を助けるという任務を遂行すること」の他に大切にしている信条がある。「部下を守ること」だ。 救急隊員が出場するのは、必ずしも安全な場所ではない。爆発があった場所や危険物が流出する事故では、隊員もその危険にさらされる。加害者によるけが人の救急要請が出た場合も、その犯人が確保されているとは限らない。人を救護する立場であっても、常に危険と隣り合わせだ。 そんな大事な部下にも、時には厳しく指導を行う。「手を尽くしたが、救えなかった人もいる」。駆け出しの頃に味わったつらい経験を、部下にはさせたくないからだ。医師の管理下に置かれるまで、「迅速、安全、確実」をモットーに処置をするよう伝えている。 指導するとき、どうすれば業務を覚えてもらえるのか、常に逆算して考えているという。「先輩や上司に教えてもらった知識や技術を、恩返しとして後輩にも伝えなければ」と語る。 受章を受け、「これまで関わってくれた皆さんのおかげで今の自分がある」と感謝を述べる。今後も、「定年まで人を助けることに尽力したい」と、努力を欠かさないつもりだ。(堀川玲) ◆すがわら・ひろし
宮城県出身。平成4年に東京消防庁入庁。大井署、玉川署などを経て令和2年から現職。家族は妻、娘2人、息子1人。趣味はサウナとオートバイで、休日はサウナ巡りとソロツーリングを楽しんでいる。
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