だから坂本龍馬は教科書から消えかけた…東大教授・本郷和人「歴史研究者が坂本龍馬に見向きもしないワケ」
坂本龍馬はNHK大河ドラマや小説で描かれ、いまでもファンが多い。東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんは「専門家からすれば、坂本龍馬は歴史研究の対象にはならない。「薩長同盟の立役者」と言われるが、実際には西郷隆盛の使い走りでしかなかったという説を唱える研究者もいる」という――。(第2回) 【写真】歴史学者が語る「日本三大どうでもいい事件」は下山事件、本能寺の変、そして… ※本稿は、本郷和人『日本史の偉人の虚像を暴く』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。 ■坂本龍馬も新選組も研究対象にはならない 日本史のなかでも、根強い人気があるのはやはり、「戦国時代」と「幕末」ですが、その理由のひとつは、いずれも個性的な英雄が登場し、そのキャラクターに感情移入したり、「推し」にしたりしやすいからなのかもしれません。 そのなかでも、とりわけ「幕末」の「英雄」と称される坂本龍馬や逸話揃いの新撰組には多くのファンがいます。 その人気にあやかって町おこしに使われたりもしていますから、迂闊なことは言えないのですが、歴史研究を専門とする身からすると、正直に言えば、坂本龍馬も新撰組も、研究の対象とは言えないのです。 『日本史の偉人の虚像を暴く』でも、藤原道長や平安時代の歴史研究の薄さについて、門外漢ながら指摘させていただきましたが、やはり歴史研究の対象になりやすいのは、歴史のターニングポイントであり、エポックメイキングな偉業を成し遂げた人物やその周辺なのです。その意味でいうと、坂本龍馬も新撰組も、歴史の大きな流れにおいて、いったい何をした人物なのか、よくわかりません。 坂本龍馬にしろ、新撰組の隊員たちにしろ、いずれも歴史研究というよりも、小説や漫画、映像作品など、エンターテインメントの世界で深掘りされてきた人物なのでしょう。特に坂本龍馬の人気は衰えを知りません。
■大ヒット小説で人気に火が付いたが… まだ明治維新から間もない明治16(1883)年に地元の高知(土佐)の新聞で連載された伝記小説『汗血千里の駒』が人気を博して以降、たびたび坂本龍馬は話題となってきた人物です。 当時の明治政府では薩摩・長州閥の権力が強く、そこで土佐の人間も忘れるなということで坂本龍馬が持ち出されたという話もあります。しかし、その後、現代まで続く坂本龍馬の不動の人気を決定的なものにしたのは、やはり司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』でしょう。 それは新撰組にしてもそうです。早いものでは、新撰組の生き残りである二番隊隊長の永倉新八が記者の取材に協力した『新撰組顚末記』などが大正2(1913)年に小樽新聞で連載されています。 昭和3(1928)年に刊行された子母澤寛『新選組始末記』でその存在が一躍知られるようになり、やはり司馬遼太郎先生の『燃えよ剣』の人気によってさらに火がつきました。今では、漫画やアニメ作品などの題材になることも多く、特に隊士たちを美形・イケメンキャラで描くなど、女性人気も高い存在となっています。 そんな人気のためか、しばしば近現代史の先生が揃って語る悩みに、「坂本龍馬か新撰組で卒業論文を書きたがる学生が多い」ということがあります。先に述べたように、坂本龍馬も新撰組も、歴史学では評価しづらい存在のため、確実な論文を書きたいなら、テーマを変えるように指導をしているとのことでした。 ■実質的には西郷隆盛の「使い走り」 新撰組は京都の市中の治安を守る一種の警察組織ですから、歴史の大きな流れに影響を与えたかどうかという観点で言えば、学術的な対象になりづらいのはわかります。しかし、坂本龍馬の場合はどうでしょうか。 一般的には、坂本龍馬は倒幕の原動力となった薩長同盟を結ばせた立て役者ということになっています。けれども薩長同盟の主体は、あくまでも薩摩藩と長州藩です。 この場合、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎がすごいのであって、仲立ちをしたとされる龍馬は、そもそも当事者ではありません。一部の研究者によれば、坂本龍馬は「西郷の使者」に過ぎず、西郷の命で動き回っていた使い走りなのだから、薩長同盟への貢献はさほど認められないのだそうです。 龍馬の発案としては、「船中八策」が知られていますが、これも龍馬本人にオリジナリティがあるものとは言えないそうです。 以前、徳川家19代目の御当主で、歴史研究家でもある徳川家広さんとお会いしていろいろとお話を伺ったことがありました。そのとき、家広さんがおっしゃっていたことに、「日本三大どうでもいい事件」というものがあります。 世のなかには、未解決のために陰謀めいた説を含めてさまざまに論じられている事件がありますが、なかでも取り上げることすら意味のないものが3つあるというのです。