話題の映画『マエストロ:その音楽と愛と』夫婦の互いへの愛は等分ではない【今祥枝の考える映画】
パートナー同士が、互いに等分の愛情を注ぐことは不可能ではあるけれど……
バーンスタインが非常に愛情深く、よい父親であったことは事実であろう一方で、本作では言及されないがクラシック音楽界におけるパワハラなどの権力の濫用は、議論が続いている。昨年公開された、ケイト・ブランシェットがパワハラとセクハラで失脚する有名指揮者を演じた『TAR/ター』は、バーンスタインのような有名指揮者の女性版とする見方もある。
近年はLGBTQへの理解も深まりつつあり、誰もが自分の人生を生きたいように生きる権利を持つことへの認識も高まっています。どのようなセクシュアリティであっても、それは個人の自由であり、何人にもジャッジされるものではありません。 一方で、ヘテロセクシュアルであれ同性愛者、バイセクシュアルであれ、そのセクシュアリティというより、婚姻制度において複数の相手と同時につきあうことを好むとなると、また別の問題でしょう。もっとも、自身のキャリアを脅かす社会的な偏見や差別がなければ、バーンスタインはフェリシアと結婚しなかったのでしょうか。 いずれにせよ、映画のバーンスタインは、目の前にいる相手に100%の愛情を注ぐ気持ちに嘘はないように見えます。さらにそうした愛情を向ける相手を同時に複数持つ、あるいは次々と変えていくことができる。そんな人物と長年一緒にいたフェリシアが、「あなたは他人のエネルギーを奪う」と非難し、「疲弊しきった」と絶望することは何ら不思議なことではありませんよね。 一方、バーンスタインからすれば、「それが自分という人間なのだ」ということなのでしょう。フェリシアは最大の理解者でもありますが、バーンスタインの自分は特別な人間なのだという傲慢さと非情さはとても残酷に映ります。最初から嘘はついていないと言われれば、それはそうなのですが。 そもそも、婚姻関係がすなわち相手にとって、自分が「オンリーワン」になれるという保証でもなければ、人は誰かの愛情を独占できるものでもありません。もっと言えば、互いの愛情の強さ、度合いが完全に一致するということは現実問題として不可能に近いでしょう。だからといって、バーンスタインの行為、生き方はどうなのか。 もちろん、本作は二人の生き方をジャッジするものではありません。この夫婦の間にあった絆、愛が嘘偽りのないものであることは、映画を通して痛いほどよくわかります。しかし、フェリシアという一人の女性の人生を考えたとき、そこには他人にはわかりえない、壮絶な苦しみがあったことを思わずにはいられません。 Netflix映画『マエストロ: その音楽と愛と』12月20日(水)より独占配信 監督:ブラッドリー・クーパー 脚本:ブラッドリー・クーパー、ジョシュ・シンガー 出演:キャリー・マリガン、ブラッドリー・クーパー、マット・ボマー、マヤ・ホーク、サラ・シルヴァーマン、ジョシュ・ハミルトン、スコット・エリスほか ●映画・海外ドラマ 著述業、ライター・編集者 今祥枝/Sachie Ima 23年、米ゴールデン・グローブ賞のInternational Voterに選出される。24年(第81回)より投票に参加。著書に『海外ドラマ10年史』(日経BP)。