話題の映画『マエストロ:その音楽と愛と』夫婦の互いへの愛は等分ではない【今祥枝の考える映画】
自ら選んだ人生であっても、耐えがたい現実が訪れる瞬間はある
バーンスタインは1940年代に世に出始めた当時から、同性愛者であることを周囲にはあまり隠しておらず、フェリシアも知っていました。しかし、長らく社会的にも差別や偏見はあり、とりわけクラシック音楽界の指揮者の同性愛はタブー扱いされており、メディアは美しい夫婦のイメージを伝え続けました。映画では世間でゴシップとして騒がれても、フェリシアは夫のキャリアを守るためでもあったのでしょう、みんなが望むような夫婦像を演じ、子どもたちには事実を知らせないようにしていたことが描かれています。 映画の冒頭、そんな二人の出会いのシーンから結婚生活の初期は、誰もがうらやむような愛情深い夫婦の姿が、主にモノクロームの美しい映像でつづられます。 バーンスタインが作曲を手がけたミュージカル『オン・ザ・タウン』(後の映画版は『踊る大紐育』)のミュージカルシーンなど、音楽の素晴らしさと喜びにあふれた名場面の数々に心踊ります。音楽映画としての楽しみも十二分。 しかし、映像がカラーパートになるにつれて、女性の視点からすると自身もスポットライトを浴びていたフェリシアが、大舞台で指揮する夫を舞台袖でじっと見つめる姿に象徴されるように、スター街道を上り詰める夫の傍らで、どうしても「夫を見守る妻」の役割として陰に回っている感じに複雑な思いも。 加えて、バーンスタインは男性パートナーたちを家に連れてきては、フェリシアや子どもたちと一緒に過ごすようになります。また、フェリシアがいるのに男性パートナーの手を握ったりキスをしたりといった振る舞いも。 フェリシアは、結婚初期には「自分が犠牲を払っていると感じたら、私から去る」と、きっぱりと笑顔で言い切ります。彼女は自立した女性であり、これが自ら選んだ人生であること、そのことに責任を持つ覚悟があることがよくわかります。しかし、時たつにつれ、仕事も恋愛もわが道をゆく夫に対して、フェリシアの表情は曇り、明らかに疲弊していきます。 いくら覚悟はしていたと言っても、時がたつにつれ、現実を受け止めきれなくなる瞬間がやってくる。それは自然なことではないでしょうか。