「妻の姿が見えなくなっただけで、不安で不安で」ロッキード事件の鬼検事、堀田力。夫婦二人三脚で二度の脳梗塞から一歩を踏み出す
ロッキード事件(1976年)を担当するなど、敏腕検事として活躍してきた堀田力さん。57歳で早期退職し、社会福祉活動に尽力してきた。2022年末に脳梗塞で倒れたものの、89歳の現在も地域社会への働きかけを続けている。妻・明子さんと〈第三の人生〉について語り合った(構成:篠藤ゆり 撮影:宮崎貢司) 【写真】《鬼検事》時代の堀田さん * * * * * * * ◆歩行が困難になり、文字を読むのも一苦労 力 脳梗塞の予兆はとくに感じていませんでした。不調があっても、この歳ならそのくらいあるだろうと捉えていましたので。 明子 最初に倒れる8ヵ月ほど前、夫は勤務先近くの階段で転んだと話していました。「足を踏み外したの?」と聞いたら、「足はもたついていない」という返事。そのときピンと来ていたらよかったのですが……。 力 その後もレストランを出たところで転んで、顔を切ったり。それでも年相応、足腰の衰えと思っていたんです。 明子 最初に脳梗塞を起こしたのは、2022年12月中旬。休日、自宅で過ごしていたとき、夫が「体が動かなくて変だ」と言うのです。さらに「食欲もないし、味がわからない。左目が見えにくいし、左手が動かない」と。これはただごとではないと思いました。 急いでかかりつけの病院に行って、MRAの撮影をしたところ、右脳に梗塞が見つかったんです。入院期間は10日ほどでしたが、後遺症が残りました。
力 医師からは、左目の視力は失われたまま戻ることはないと言われてしまって。右目で大きな文字は読めるのですが、漢字の意味がわからない。 いままでのように歩いてトイレに行くことも、自分で起き上がることもできない。ついさっきのことを思い出せず、記憶力も思考力もあやしくなって、それは心細くなりました。 明子 コロナ下で家族も面会できないなか、夫が看護師の方に手伝ってもらい電話をかけてきたんです。「病院にいるのはイヤだ。窓から飛び降りて死にたくなるから家に帰りたい」などと駄々をこねて――。 力 申し訳なかったと思いますが、そのときはそういう状態だったんですね。私はいままでいくつか病気を患っています。検事としてロッキード事件を担当したときは、審理が山場を越えてから胃潰瘍の手術をしました。たぶんストレスの影響でしょう。 57歳で早期退職して、福祉の活動を始めてからも、狭心症でバイパスの手術をしました。そのたびに「頑張って治して復帰するぞ」という気持ちでしたが、今回ばかりはどうしていいかわからなくてね。この先、生きていても何ができるんだろうかと――。 明子 それで私は病院を訪れて、医師と相談しました。夫の体の支え方や、薬の管理、部屋を片づけて歩行を安全にすることなど、自宅でサポートする方法を教えていただいて。 退院したのが12月30日。年末年始は病院も休診なので、もし何かあったらどうしようとハラハラしましたが、夫はほっとしたようでした。 力 抱えていた仕事は職場の職員にお願いして。とにかく自宅に戻りました。
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