[立川談笑さん]早大法学部から司法試験合格を目指していた…なぜ、落語家に?
落語家になった理由
――早稲田大学法学部のご卒業ですね。 岸田前総理の後輩です。司法試験を目指していたし、そういうサークルに入っていました。今も学生時代の仲間と集まりますが、先生だらけですよ。弁護士先生とか大学の先生とか。先生の中にまじって、ひとりだけ師匠。 ――なぜ落語家になったんですか。 26、7歳のときですね。この年代じゃないとできないものって何かあるかもしれないと思って、ちょっといったん司法試験を棚ざらしにして、法律以外にも面白いものってないのか探してみようって、1年間ぐらい予備校の先生をしながら、あちこち、ぶらぶらしていました。めぐりあったのが落語です。 そのころ、高田文夫先生がものすごく面白い落語を作っていて、他の落語家たちがこの面白いやり方についていかないっていうのが歯がゆくて。ほんじゃ、落語に挑戦してみようというのが、まず一つですね。 あと、もう一つは硬い話ですけど。 法律は理屈の世界で社会正義を実現しようとしますよね。最高裁の大法廷判決なんかで少数意見とか反対意見だとかっていうのが出てね。冷静な最高裁判事の言葉というのは、新聞に書いてある。でも、それを広げて読む人っていうのは、たぶんもう読まなくてもわかってる人なんですよ。 読まない人たちに何か届けたいなと思って。理屈じゃなくて情の部分で、みんなの心を癒やすというか、これ間違ってるよねとか、こうだったらいいねっていうようなものを提示して、世の中変えないまでも、心を楽にする。そっちの方向に、情の方に進んでみようと思ったんですよ。 ――司法試験に戻るつもりもあったんですか。 正直、最初は戻るつもりもありつつ、ですね。 プロ野球選手になる人はみんな野球をやっていたわけです。しかし、落語家になるにあたって落語をやってたっていう人はそうはいないですよ。この業界に入って初めて落語を人前で演じるわけです。 ひょっとしたら、そいつにものすごく合うかもしれない。全然合わないかもしれない。それを試してみようと思ったんですね。ええ。合わなかったらやめようと。うん。 これは弟子たちにもいっているんです。やってみてダメだったら無理せずやめた方がいいと。自分で判断がつかないようなら、向いてないなって師匠である私が判断した段階で間違いなくやめてもらうって。